人も見えない。ぶらぶら歩けばかえって体はだるい。
「おとよさん、もうわたし少しくたぶれたわ。そこらで一休みしましょうか」
 お千代の暢気は果てしがない。おとよの心は一足も早く妙泉寺へいってみたいのだ。
「でもお千代さんここは姫島のはずれですから、家《いえ》の子《こ》はすぐですよ。妙泉寺で待ち合わせるはずでしたねい」
 こういわれてようやくの事いくらか気がついてか、
「それじゃ少し急いでゆきましょう」
 家の子村の妙泉寺はこの界隈《かいわい》に名高き寺ながら、今は仁王門《におうもん》と本堂のみに、昔のおもかげを残して境内は塵《ちり》を払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂の周囲を見廻《みまわ》し堂の様子を眺めておった。省作はもとより建築の事などに、それほどの知識があるのではないけれど、一種の趣味を持っている男だけに、一見してこの本堂の建築様式が、他に異なっているに心づき、思わず念がはいって見ておったのである。
「こんな立派な建築を雨晒《あまざら》しにして置くはひどいなあ、近郷に人のない証拠だ
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