、この郡の恥辱だ、随分思い切ったもんだ、県庁あたりでもどうにかしそうなもんだ、つまり千葉県人の恥辱だ、ひどいなあ」
省作はこんなことをひとりで言って、待ち合せる恋人がそこまで来たのも知らずにおった。お千代が、ポンポンと手を叩《たた》く、省作は振り返って出てくる。
「省さん、暢気《のんき》なふうをして何をそんなに見てるのさ」
「何さ立派なお堂があんまり荒れてるから」
「まあ暢気な人ねい、二人がさっきからここへきてるのに、ぼんやりして寺なんか見ていて、二人の事なんか忘れっちゃっていたんだよ」
お千代は自分の暢気は分らなくとも省作の暢気は分るらしい。省作は緩《ゆるや》かに笑いながら二人の所へきた。
思うこと多い時はかえって物はいえぬらしく、省作はおとよに物もいわない、おとよも顔にうるわしく笑ったきり省作に対して口はきかぬ。ただおとよが手に持つ傘《かさ》を右に左にわけもなく持ち替えてるが目にとまった。なつかしいという形のない心は、お互いのことばによって疎通《そつう》せらるる場合が多いが、それは尋常の場合に属することであろう。
今省作とおとよとは逢《あ》っても口をきかない。お千代が前にい
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