せっかくここまで連れて来ながら、おとよの胸の中は、なかなか道ばたの花などを立ち留って見てるような暢気でないことまでは思《おも》い遣《や》れない。お千代は年は一つ上だけれど、恋を語るにはまだまだ子供だ。
 おとよはしょうことなしにお千代のあとについて無意識に、まあ綺麗《きれい》なことまあ綺麗なことといいつつ、撥《ばつ》を合せている。蝙蝠傘《こうもりがさ》を斜《はす》に肩にして二人は遊んでるのか歩いてるのか判《わか》らぬように歩いてる。おとよはもうもどかしくてならないのだ。
 おとよは家を出るまでは出るのが嬉《うれ》しく、家を出てしばらくは出たのが嬉しかったが、今は省作を思うよりほかに何のことも頭にない。お千代の暢気につれて、心にもない事をいい、面白く感ぜぬ事にも作り笑いして、うわの空に歩いている。おとよの心にはただ省作が見えるばかりだ、天竺牡丹《てんじくぼたん》も霧島も西洋草花も何もかもありゃしない。
「省さんは先へいったのかしら、それともまだであとから来るのかしら」
 こう思うのも心のうちだけで、うかりとしているお千代には言うてみようもなく、時々目をそらしてあとを見るけれど、それらしい
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