を村界《むらざかい》で兄に抑《おさ》えられたとか、小さな村に話の種が二つもできたので、もとより浮気ならぬ省作おとよの恋話も、新しい話に入りかわってしまった。

      六

 珊瑚樹垣《さんごじゅがき》の根には蕗《ふき》の薹《とう》が無邪気に伸びて花を咲きかけている。外の小川にはところどころ隈取《くまど》りを作って芹生《せりふ》が水の流れを狭《せば》めている。燕《つばめ》の夫婦が一つがい何か頻《しき》りと語らいつつ苗代《なわしろ》の上を飛《と》び廻《まわ》っている。かぎろいの春の光、見るから暖かき田圃《たんぼ》のおちこち、二人三人組をなして耕すもの幾組、麦冊《むぎさく》をきるもの菜種に肥《こえ》を注ぐもの、田園ようやく多事の時である。近き畑の桃の花、垣根の端の梨《なし》の花、昨夜の風に散ったものか、苗代の囲《まわ》りには花びらの小紋が浮いている。行儀よく作られた苗坪ははや一寸ばかりの厚みに緑を盛り上げている。燕の夫婦はいつしか二つがいになった、時々緑の短冊に腹を擦《す》って飛ぶは何のためか。心|長閑《のどか》にこの春光に向かわば、詩人ならざるもしばらく世俗の紛紜《ふんうん》を忘れう
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