こういってしばらく口を閉じ、深く考えつつ溜息《ためいき》をつく。暢気《のんき》そうに、笑い顔している省作をつくづくと視《み》つめて、老いの眼に心痛の色が溢《あふ》れるのである。やがてまた思いに堪《た》えないふうに、
「お前はそんな暢気な顔をしていて、この年寄の心配を知らないのか」
そういわれて省作は俄《にわ》かに居ずまいを直した。そうして、
「おッ母さん、わたしだってそんなに暢気でいやしませんよ。年寄にそう心配さしちゃすまないですが、実はおッ母さん、あの家はむこうで置いてくれてもわたしの方でいやなんです。なんのかんの言ったって、わたしがいる気で少し気をつければ、わけはないですけど、なんだか知らんが、わたしの方で厭《いや》になっちまったんでさ。それだからおッ母さん心配しないでください」
これは省作の今の心の事実であるが、省作の考えでは、こういったら母の心配をいくらかなだめられると思うたのである。ところがそう聞いて母の顔はいよいよむずかしくなった。老いの眼はもう涙に潤《うるお》ってる。母はずっと省作にすり寄って、
「省作、そりゃおまえほんとかい。それではお前、あんまり我儘《わがまま》と
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