いうもんだど。おッ母さんはただあの事が深田へ知れては、お前も居づらいはずだと思うたに、今の話ではお前の方から厭になったというのだね。それではおまえどこが厭で深田にいられない、深田の家のどいうところが気に入らないかえ。おつねさんだって初めからお互いに知り合ってる間柄だし、おつねさんが厭《いや》なわけはあるまい。その年をしてただわけもなく厭になったなどというのは、それは全く我儘《わがまま》というものだ。少しは考えてもみろ」
 省作はだまってうつむいている。省作は全く何がなし厭になったが事実で、ここがこうと明瞭《めいりょう》に意識した点はない。深田の家に別に気に入らないというところがあるのではない。つまるところ省作の頭には、おとよの事が深く深く染《し》みこんでいるから、わけもなく深田に気乗りがしない。それにこの頃おとよと隣との関係も話のきまりが着いて、いよいよおとよも他《ほか》に関係のない人となってみると、省作はなにもかにもばからしくなって、俄《にわ》かに思いついたごとく深田にいるのが厭になってしまった。しかしそれをそうと打《ぶ》っつけに母にも言えないから、母に問い詰められてうまく返答ができ
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