いた夜はほとんど眠らなかった。
 思慮に富めるおとよは早くも分別してしまった。自分にはとても省さんを諦《あきら》められない。諦められないことは知れていながら、余儀ないはめになって諦めようとしたものの駄目《だめ》であったのだから、もうどうしたって諦められはしない。今が思案の定《き》め時《どき》だ。ここで覚悟をきめてしまわねば、またどんな事になろうも知れない。省さんの心も大抵知れてる、深田にいないところで省さんの心も大抵知れてる。おとよはひとりでにっこり笑って、きっぱり自分だけの料簡《りょうけん》を定《き》めて省作に手紙を送ったのである。
 省作はもとより異存のありようがない、返事は簡単であった。
 深田にいられないのもおとよさんゆえだ。家に帰って活《い》き返ったのもおとよさんゆえだ。もう毛のさきほども自分に迷いはない。命の総《すべ》てをおとよさんに任せる。
 こういう場合に意志の交換だけで、日を送っていられるくらいならば、交換したことばは偽りに相違ない。抑《おさ》えられた火が再び燃えたった時は、勢い前に倍するのが常だ。
 そのきさらぎの望月《もちづき》の頃に死にたいとだれかの歌がある。こ
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