だ。強い意志でわが思いを抑《おさ》えている。いくら抑えてもただ抑えているというだけで、決して思いは消えない。むしろ抑えているだけ思いはかえって深くなる。一念深く省作を思うの情は増すことはあるとも減ることはない。話し合いで別れて、得心《とくしん》して妻を持たせながら、なおその男を思っているのは理屈に合わない。いくら理屈に合わなくとも、そういかないのが人間のあたりまえである。おとよ自身も、もう思うまいもう思うまいと、心にもがいているのだけれど、いくらもがいてもだめなのである。
「わたしはまあ、しようがないなあ、どうしたらえんだろ、ほんとにしようがないな」
人さえいなければそういって溜息《ためいき》をつくのは夜ごと日ごとのことである。さりとてよそ目に見たおとよは、元気よく内外《うちそと》の人と世間話もする。人が笑えば共に笑いもする。胸に屈託のあるそぶりはほとんど見えない。近所隣へいった時、たまに省作の噂《うわさ》など出たとておとよは色も動かしやしない。かえっておとよさんは薄情だねいなど蔭言《かげごと》を聞くくらいであった。それゆえおとよが家に帰って二月たたないうちに、省作に対するおとよの噂
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