はいつ消えるとなしに消えた。
胸にやるせなき思いを包みながら、それだけにたしなんだおとよは、えらいものであるが、見る人の目から見れば決して解《わか》らぬのではない。
燃えるような紅顔であったものが、ようやくあかみが薄らいでいる。白い部分は光沢を失ってやや青みを帯《お》んでいる。引き締まった顔がいよいよ引き締まって、眼《め》は何となし曇っている。これを心に悩みあるものと解らないようでは恋の話はできない。
それのみならず、おとよは愛想のよい人でだれと話してもよく笑う。よく笑うけれどそれは真からの笑いではない。ただおはまが来た時にばかり、真に嬉《うれ》しそうな笑いを見せる。それはどういうわけかと聞かなくても解ろう。それでおはまが帰る時には、どうかすると涙を落すことがある。
それならばおはまを捕えて、省作の話ばかりするかと見るに決してそうでもない。省作の話はむしろあまりしたがらない。いつでも少し立ち入った話になると、もうおよしと言ってしまう。直接には決して自分の心持ちを言わない。また省作の心を聞こうともせぬ。その癖、省作の事については僅《わず》かな事にまで想像以外に神経過敏である。深田
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