の中の一切のとどこおりがとれてしまって、胸はちゃんと定《き》まった。胸が定まれば元気はおのずから動く。
 翌朝省作は起こされずに早く起きた。
「おッ母さん仕事着は」
とどなる。
「ウム省作起きたか」
「あ、おッ母さん、もう働くよ」
「ウムどうぞま、そうしてくろや。お前に浮かぬ顔して引っ込んでいられると、おらな寿命が縮まるようだったわ」
 中《なか》しきりの鏡戸《かがみど》に、ずんずん足音響かせてはや仕事着の兄がやってきた。
「ウン起きたか省作、えい加減にして土竜《もぐら》の芸当はやめろい。今日はな、種井《たねい》を浚《さら》うから手伝え。くよくよするない、男らしくもねい」
 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足で庭へ飛び降りた。
 彼岸がくれば籾種《もみだね》を種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水を汲《く》みほして掃除《そうじ》をせねばならぬ。これはほとんどこの地の習慣で、一つの年中行事になってる。二月に入ればよい日を見て種井浚いをやる。その夜は茶飯《ちゃめし》ぐらいこしらえて酒の一升も買うときまってる。
 今日は珍しくおはま満蔵と兄と四人|手揃《てぞろ》いで働いたから、家じゅう愉快
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