おくびょう》に慚愧心《ざんきしん》が起こって、世間へ出るのが厭《いや》で堪《たま》らぬ。省作の胸中は失意も憂愁もないのだけれど、周囲からやみ雲にそれがあるように取り扱われて、何となし世間と隔てられてしまった。それでわれ知らず日蔭者《ひかげもの》のように、七、八日奥座敷を出ずにいる。家の人たちも省作の心は判然《はっきり》とはわからないが、もう働いたらよかろうともえ言わないで好きにさしておく。
 この間におはまは小さな胸に苦労をしながら、おとよ方《かた》に往復して二人《ふたり》の消息を取り次いだ。省作は長い長い二回の手紙を読み、切実でそうして明快なおとよが心線に触れたのである。
 萎《しお》れた草花が水を吸い上げて生気を得たごとく、省作は新たなる血潮が全身にみなぎるを覚えて、命が確実になった心持ちがするのである。
「失態も糸瓜《へちま》もない。世間の奴《やつ》らが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人《ひと》の世話にはならない」
 こう独言《ひとりごと》を言いつつ省作は感に堪《た》えなくなって、起《た》って座敷じゅうをうろうろ歩きをするのである。省作はもう腹
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