省作のことゆえ、兄夫婦もそれほどつらく当たるわけではないが、省作自ら気が引けて小さくなっている。のっそり坊も、もうのっそりしていられない。省作もようやく人生の苦労ということを知りそめた。
 深田の方でも娘が意外の未練に引かされて、今一度親類の者を迎えにやろうかとの評議があったけれど、女親なる人がとても駄目《だめ》だからと言い切って、話はいよいよ離別と決定してしまった。
 上総《かずさ》は春が早い。人の見る所にも見ない所にも梅は盛りである。菜の花も咲きかけ、麦の青みも繁《しげ》りかけてきた、この頃の天気続き、毎日|長閑《のどか》な日和《ひより》である。森をもって分《わか》つ村々、色をもって分つ田園、何もかもほんのり立ち渡る霞《かすみ》につつまれて、ことごとく春という一つの感じに統一されてる。
 遥《はる》かに聞ゆる九十九里《くじゅうくり》の波の音、夜から昼から間断なく、どうどうどうどうと穏やかな響きを霞の底に伝えている。九十九里の波はいつでも鳴ってる、ただ春の響きが人を動かす。九十九里付近一帯の村落に生《お》い立ったものは、この波の音を直《ただ》ちに春の音と感じている。秋の声ということば
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