》ばかりであったらば、こうはゆかなかったかもしれない。そこにお千代という、はさまりものがあって、一方には邪魔なようなところもあるが、一面にはそれがためにうまく調子がとれて、極端に陥らなかったため、思ったよりも今日の遊びが愉快になった。初めはお千代の暢気《のんき》が目についたに、今は三人やや同じ程度に暢気になった。しかしながら省作おとよの二人には別に説明のできない愉快のあるはもちろんである。物の隅々に溜《たま》っていた塵屑《ちりくず》を綺麗《きれい》に掃き出して掃除《そうじ》したように、手も足も頭もつかえて常に屈《かが》まってたものが、一切の障《さわ》りがとれてのびのびとしたような感じに、今日ほど気の晴れた事はなかった。
 御蛇《おんじゃ》が池《いけ》にはまだ鴨《かも》がいる。高部《たかべ》や小鴨や大鴨も見える。冬から春までは幾千か判《わか》らぬほどいるそうだが、今日も何百というほど遊んでいる。池は五、六万坪あるだろう、ちょっと見渡したところかなり大きい湖水である。水も清く周囲の岡《おか》も若草の緑につつまれて美しい、渚《なぎさ》には真菰《まこも》や葦《あし》が若々しき長き輪郭を池に作っている。平坦《へいたん》な北上総《きたかずさ》にはとにかく遊ぶに足るの勝地である。鴨は真中《まんなか》ほどから南の方、人のゆかれぬ岡の陰に集まって何か聞きわけのつかぬ声で鳴きつつある。御蛇が池といえば名は怖ろしいが、むしろ女小児《おんなこども》の遊ぶにもよろしき小湖に過ぎぬ。
 湖畔の平地に三、四の草屋がある。中に水に臨んだ一|小廬《しょうろ》を[#「一|小廬《しょうろ》を」は底本では「一|小慮《しょうろ》を」]湖月亭《こげつてい》という。求むる人には席を貸すのだ。三人は東金《とうがね》より買い来たれる菓子|果物《くだもの》など取り広げて湖面をながめつつ裏なく語らうのである。
 七十ばかりな主《あるじ》の翁《おきな》は若き男女のために、自分がこの地を銃猟禁制地に許可を得し事柄や、池の歴史、さては鴨猟の事など話し聞かせた。その中には面白き話もあった。
「水鳥のたぐいにも操《みさお》というものがあると見えまして、雌なり雄なりが一つとられますと、あとに残ったやもめ鳥でしょう、ほかの雌雄が組をなして楽しげに遊んでる中に、一つ淋《さび》しく片寄って哀れに鳴いてるのを見ることがあります。そういうこ
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