せっかくここまで連れて来ながら、おとよの胸の中は、なかなか道ばたの花などを立ち留って見てるような暢気でないことまでは思《おも》い遣《や》れない。お千代は年は一つ上だけれど、恋を語るにはまだまだ子供だ。
 おとよはしょうことなしにお千代のあとについて無意識に、まあ綺麗《きれい》なことまあ綺麗なことといいつつ、撥《ばつ》を合せている。蝙蝠傘《こうもりがさ》を斜《はす》に肩にして二人は遊んでるのか歩いてるのか判《わか》らぬように歩いてる。おとよはもうもどかしくてならないのだ。
 おとよは家を出るまでは出るのが嬉《うれ》しく、家を出てしばらくは出たのが嬉しかったが、今は省作を思うよりほかに何のことも頭にない。お千代の暢気につれて、心にもない事をいい、面白く感ぜぬ事にも作り笑いして、うわの空に歩いている。おとよの心にはただ省作が見えるばかりだ、天竺牡丹《てんじくぼたん》も霧島も西洋草花も何もかもありゃしない。
「省さんは先へいったのかしら、それともまだであとから来るのかしら」
 こう思うのも心のうちだけで、うかりとしているお千代には言うてみようもなく、時々目をそらしてあとを見るけれど、それらしい人も見えない。ぶらぶら歩けばかえって体はだるい。
「おとよさん、もうわたし少しくたぶれたわ。そこらで一休みしましょうか」
 お千代の暢気は果てしがない。おとよの心は一足も早く妙泉寺へいってみたいのだ。
「でもお千代さんここは姫島のはずれですから、家《いえ》の子《こ》はすぐですよ。妙泉寺で待ち合わせるはずでしたねい」
 こういわれてようやくの事いくらか気がついてか、
「それじゃ少し急いでゆきましょう」
 家の子村の妙泉寺はこの界隈《かいわい》に名高き寺ながら、今は仁王門《におうもん》と本堂のみに、昔のおもかげを残して境内は塵《ちり》を払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂の周囲を見廻《みまわ》し堂の様子を眺めておった。省作はもとより建築の事などに、それほどの知識があるのではないけれど、一種の趣味を持っている男だけに、一見してこの本堂の建築様式が、他に異なっているに心づき、思わず念がはいって見ておったのである。
「こんな立派な建築を雨晒《あまざら》しにして置くはひどいなあ、近郷に人のない証拠だ
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