曇っていたのである。
子どもたちは何を見つけたかしきりにおもしろがって笑い興じている。その笑い声は真にはればれしくいきいきとして、何ともいいようなく愉快そうな声である。そうしてその声はたしかに人を闇黒より呼び返す声である。予は実に子どもたちの歓呼の叫びに蘇生《そせい》して、わずかに心の落ちつきを得たとき、姉は茶をこしらえて出てきた。茶受けは予の先に持参した菓子と、胡瓜《きゅうり》の味噌漬け雷干《かみなりぼし》の砂糖漬けであった。予が好きだということを知っての姉の用意らしい。
「よくよく何もなくてただほんの喉《のど》しめしだよ。子どもらはどうしたろ。とうもろこしをとってみたらまだ早くてね」
姉はいそいそとして縁から子どもたちを呼び迎える。ふたりは草花を一|束《たば》ずつ持って上がってくる。
「そんなに花をたくさんとっちゃいかんじゃないか」
「えいやね、東京では花だってかってにゃとれないだろう。いくらとってもえいよ、とればあとからいくらでも生《は》えるから。たァちゃんにあァちゃんだったっけね。ううん九つに十……はァそんなになるかい」
「お前たちその花の名を知ってるかい」
「知らない……お父さん。なんというお花」
「うんまるい赤いのが千日草。そっちのが浦島草」
子どもたちは花がうれしくて物もたべたがらない。ふたりは互いに花を見せ合って楽しんでいる。
「菓子もいらない。そんなにこの花がえいのかい。田舎《いなか》の子どもと違って、東京の子どもは別だわな」
「なにおんなじさ。ずいぶん家ではあばれるのさ」
やがて子どもらはまた出てしまう。年はとっても精神はそれほどには変わらない。姉はただもうなつかしさが目にあふれてみえる。平生はずいぶん出来不出来《できふでき》のある人で、気むつかしい人だが、こうなると何もかもない。
「くるならくると一言いうてよこせば何とかしようもあったに。ほんとにしようがないなこれでは。養蚕さえやられねば、まさかこんなでもないだが。まァこのざまを見てくっだいま」
「何のしようがいるもんですか。多分忙しいんだろうから、実は今夜も泊まらずに、すぐ片貝へと思ったけれど、それもあんまりかと思ってね……」
「そうともまた、いくら忙しいたって、一晩も話さないでどうするかい。……きょうはまたなんというえい日だろうか。子どもたちがあァして庭に騒いで遊んでると、ようよう人
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