かなかよいところもあるよ」
 しかし問題はそれだけでなかった、ちょうどそのときは第一期の試験であった、試験! それは生徒に取って地獄《じごく》の苦しみである、もし平素|善根《ぜんこん》を積んだものが死んで極楽にゆけるものなら、平素勉強をしているものは試験こそ極楽の関門である、だがその日その日を遊んで暮らすものに取っては、ちょうどなまけ者が節季《せっき》に狼狽《ろうばい》すると同じもので、いまさらながら地獄のおそろしさをしみじみと知るのである。
 浦和中学は古来の関東気質《かんとうかたぎ》の粋《すい》として豪邁不屈《ごうまいふくつ》な校風をもって名あるが、この年の二年にはどういうわけか奇妙な悪風がきざしかけた。それは東京の中学校を落第して仕方なしに浦和へきた怠惰生《たいだせい》からの感染《かんせん》であった。孔子《こうし》は一人《いちにん》貪婪《どんらん》なれば一国《いっこく》乱《らん》をなすといった、ひとりの不良があると、全級がくさりはじめる。
 カンニングということがはやりだした、それは平素勉強をせない者が人の答案をぬすみみたり、あるいは謄写《とうしゃ》したりして教師の目をくらますこ
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