、もしかれが恥を知る学生であったなら、本当の正しき魂がある少年であるなら、国定忠治《くにさだちゅうじ》だの鼠小僧だの、ばくち打ちやどろぼうのまねを恥ずべきはずだが、かれにはそんな良心はなかった、かれはただ人まねがしたいのである、実際かれはそれがじょうずであった、かれはしゃものような声で弁士の似声《こわいろ》を使ったり、また箒《ほうき》を提《さ》げて剣劇のまねをするので女中達は喜んで喝采した。
「坊っちゃまはお上手《じょうず》でいらっしゃること」
「男ぶりがいいから役者におなんなさるといい」
この声々を聞くと手塚はすこぶる得意であった、それと同時に母は鼻の下を長くして喜んだ、かれの母はすべて芸事が好きで一月《ひとつき》に三度は東京へ芝居見物にゆくのである。
父は患者をことわっておおかみのような声で謡《うたい》をうたう、母は三味線《しゃみせん》を弾《ひ》いてチントンシャンとおどる、そうして手塚は箒《ほうき》をふるって、やあやあ者共と目玉をむき出す。大抵《たいてい》この場合に箒で斬られる役になるのは代診の森君や車夫の幸吉である。だが森君も幸吉もそうそうはいつも斬られてばかりいられぬ、たま
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