った」
巌はこういってふたたびつくづくと父の寝顔を見やった。
「これがぼくのお父さんなのかなあ」
ふとつぶやくようにこういった。
「なにをいってるの?」と母は微笑した。
「いや、なんでもありません」
巌はだまった、かれの頭にはふしぎな疑惑《ぎわく》が生じた。これがはたしてぼくの父だろうか。わが身の罪を隠蔽《いんぺい》するために役場を焼こうとした凶悪な昨夜の行為! それがぼくの父だろうか。
かれは幼少からわが父を尊敬し崇拝していた、学識があり胆力があり、東京の知名の士と親しく交わって浦和の町にすばらしい勢力のある父、正義を叫び人道を叫び、政治の覚醒を叫んでいる父!
実際かれはわが父をゆいつの矜持《きょうじ》としていたが、いまやそれらの尊敬や信仰や矜持《きょうじ》は卒然としてすべて胸の中から消え失せた。
「お父さんは悪い人だ」
かれは大声をだしてなきたくなった。かれにはなにものもなくなった。
「悪い人だ!」
いままで父に教えられたこと、しかられたこと、それらはみんなうそのように思えた。
焼けてちぢれたひげがむにゃむにゃ[#「むにゃむにゃ」に傍点]と動いて、口がぽっかりあいて
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