とく反射した。
「もうだめだ、早く早く、下を這《は》え、立ってるとむせるぞ、下を這って……這《は》って逃げろ」
「消しましょう」
 と巌は三度いった。
「なにをいうか、ぐずぐずしてると死ぬぞ」
「死んでもかまいません、消しましょう、お父《とう》さん」
「ばかッ、こい」
 父はむずと巌の手をつかんだ、巌はその手をにぎりしめながらいった。
「お父さん、あなたは証拠書類を焼くために、この役場を焼くんですか」
「なにを?」
 父は手を放してよろよろとしざった。
「消してください、お父さん」
 巌は炎《ほのお》の中へ飛びこんだ、かれは右に走り左に走り、あらゆるテーブルを火に遠くころがし、それから壁やたなや箱の下をかけずりまわって火の手をさえぎりさえぎりたたきのめし、ふみしだき、阿修羅王《あしゅらおう》が炎の車にのって火の粉を降らし煙の雲をわかしゆくがごとくあばれまわった。だがそれは無駄であった。油と木材の燃ゆる悪臭と、まっ黒な煙とは巌の五体を包んだ。
「消してください」と巌は苦しそうになおも叫びつづけた。
「巌! どこだ、巌!」
 父はわが身をわすれて煙の中に巌をさがした。
「消して……消して…
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