月がねぼけたように町の片側をうすねずみ色に明るくしていた。父の足元は巌が予想したほどみだれてはいなかった、かれは町の暗い方の側を急ぎ足で歩いた。
「どこへゆくんだろう」
 巌はこう思いながら父と二十歩ばかりの間隔を取ってさとられぬように軒下《のきした》に沿《そ》うていった。父はそれとも知らずにまっすぐに本通りへ出て左へ曲がった。
「役場へゆくんだ」
 この深夜に役場へゆくのはなんのためだろう、巌の頭に一朶《いちだ》の疑雲《ぎうん》がただようた。とかれはさらにおどろくべきものを見た、父は役場の入り口から入らずにしばらく窓の下にたたずんでいたがやがて軽々と窓わくによじのぼった、手をガラス窓にかけたかと思うと、ガラスがかすかに反射の光と共に動いた。父の姿はもう見えない。
「どうしたことだろう」
 巌はあっけに取られたがすぐこう思いかえした。
「なにかわすれものをしたのだろう」
 だがこのときかれはぱっと一閃《いっせん》の火光が窓のガラスに映《うつ》ったような気がした、そうしてそれがすぐ消えた。
「なぜ電灯をつけないんだろう」
 ふたたび火光がぱっとひらめいた。ゆがんだような反射がガラスをきら
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