たがかれにはわからなかった。こういうときに家にいるとろくなことがないと思ったのでかれはそっと外へでた。町を一巡してふたたび帰ると父の室《へや》に来客があった。それは役場の庶務課長の土井という老人であった、この老人は非常に好人物という評判《ひょうばん》も高いが、非常によくばりだという評判も高い、つまり好人物であってよくばりなのである。
 母はどこへいったか姿が見えない、父と土井老人は酒を飲みながら話はよほど佳境に入ったらしい。
「心配するなよ、なんでもないさ、そんな小さな量見では天下が取れないぜ」
 父の声は快活豪放であった。
「でも……そのね、町会があんなにさわぎ出すと、どうしてもね……」
「もういいよわかったよ、おれに考えがあるから、なにをばかな、はッはッはッ」
 わらいがでるようでは父はよほど酔《よ》っていると巌は思った。
「しかし、いよいよ明日《あす》ごろ……多分明日ごろ、検事が……あるいは検事が調べにくるかもしれんので……」
「なにをいうか、検事がきたところでなんだ、証拠《しょうこ》があるかッ」
「帳簿はその……」
「焼いてしまえ」
 老人は「あっ」と声をあげたきりだまってしま
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