めに如何《いか》なる弊制悪法あるも恬《てん》として意に介せず、一身の小楽に安んじ錦衣《きんい》玉食《ぎょくしょく》するを以て、人生最大の幸福名誉となす而已《のみ》、豈《あに》事体の何物たるを知らんや、いわんや邦家《ほうか》の休戚《きゅうせき》をや。いまだかつて念頭に懸《か》けざるは、滔々《とうとう》たる日本婦女皆これにして、あたかも度外物《どがいぶつ》の如く自ら卑屈し、政事に関する事は女子の知らざる事となし一《いつ》も顧慮するの意なし。かく婦女の無気無力なるも、偏《ひとえ》に女子教育の不完全、かつ民権の拡張せざるより自然女子にも関係を及ぼす故なれば、儂《のう》は同情同感の民権拡張家と相結托し、いよいよ自由民権を拡張する事に従事せんと決意せり、これ固《もと》より儂が希望目的にして、女権拡張し男女同等の地位に至れば、三千七百万の同胞姉妹皆|競《きそ》いて国政に参し、決して国の危急を余所《よそ》に見るなく、己《おの》れのために設けたる弊制悪法を除去し、男子と共に文化を誘《いざな》い、能《よ》く事体に通ずる時は、愛国の情も、いよいよ切《せつ》なるに至らんと欲すればなり。しかるに現今我が国の状態たるや、人民皆不同等なる、専制の政体を厭忌《えんき》し、公平無私なる、立憲の政体を希望し、新紙上に掲載し、あるいは演説にあるいは政府に請願して、日々専制政治の不可にして、日本人民に適せざる事を注告《ちゅうこく》し、早く立憲の政体を立て、人民をして政《まつりごと》に参せしめざる時は、憂国の余情|溢《あふ》れて、如何《いか》なる挙動なきにしも非ずと、種々当路者に向かって忠告するも、馬耳東風《はじとうふう》たる而已《のみ》ならず憂国の志士《しし》仁人《じんじん》が、誤って法網《ほうもう》に触《ふ》れしを、無情にも長く獄窓に坤吟《しんぎん》せしむる等、現政府の人民に対し、抑圧なる挙動は、実に枚挙《まいきょ》に遑《いとま》あらず。就中《なかんずく》儂の、最も感情を惹起《じゃっき》せしは、新聞、集会、言論の条例を設け、天賦《てんぷ》の三大自由権を剥奪《はくだつ》し、剰《あまつさ》え儂《のう》らの生来《せいらい》かつて聞かざる諸税を課せし事なり。しかしてまた布告書等に奉勅《ほうちょく》云々《うんぬん》の語を付し、畏《おそ》れ多くも 天皇陛下に罪状を附せんとするは、そもまた何事ぞや。儂はこれを思うごとに苦悶|懊悩《おうのう》の余り、暫《しば》し数行《すこう》の血涙《けつるい》滾々《こんこん》たるを覚え、寒からざるに、肌《はだえ》に粟粒《ぞくりゅう》を覚ゆる事|数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》なり。須臾《しゅゆ》にして、惟《おもえ》らくああかくの如くなる時は、無智無識の人民諸税|収歛《しゅうれん》の酷《こく》なるを怨《うら》み、如何《いかん》の感を惹起せん、恐るべくも、積怨《せきえん》の余情溢れて終《つい》に惨酷《ざんこく》比類なき仏国《ふっこく》革命の際の如く、あるいは露国|虚無党《きょむとう》の謀図《ぼうと》する如き、惨憺悲愴《さんたんひそう》の挙なきにしも非ずと。因って儂ら同感の志士は、これを未萌《みほう》に削除《さくじょ》せざるを得ずと、即《すなわ》ち曩日《さき》に政府に向かって忠告したる所以《ゆえん》なり。かく儂ら同感の志士より、現政府に向かって忠告するは、固《もと》より現当路者の旧蹟《きゅうせき》あるを思えばなり。しかるに今や採用するなく、かえって儂らの真意に悖《もと》り、剰《あまつさ》え日清談判の如く、国辱《こくじょく》を受くる等の事ある上は、もはや当路者を顧《かえり》みるの遑《いとま》なし、我が国の危急を如何《いかん》せんと、益※[#二の字点、1−2−22]政府の改良に熱心したる所以《ゆえん》なり。儂《のう》熟※[#二の字点、1−2−22]《つらつら》考うるに、今や外交日に開け、表《おもて》に相親睦《あいしんぼく》するの状態なりといえども、腹中《ふくちゅう》各※[#二の字点、1−2−22]《おのおの》針を蓄《たくわ》え、優勝劣敗、弱肉強食、日々に鷙強《しきょう》の欲を逞《たくま》しうし、頻《しき》りに東洋を蚕食《さんしょく》するの兆《ちょう》あり、しかして、内《うち》我が国外交の状態につき、近く儂《のう》の感ずる処を拳《あ》ぐれば、曩日《さき》に朝鮮変乱よりして、日清の関係となり、その談判は果して、儂ら人民を満足せしむる結果を得しや。加之《しかのみならず》、この時に際し、外国の注目する所たるや、火を見るよりも明《あき》らけし。しかるにその結果たる不充分にして、外国人も私《ひそ》かに日本政府の微弱無気力なるを嘆ぜしとか聞く。儂思うてここに至れば、血涙《けつるい》淋漓《りんり》、鉄腸《てっちょう》寸断《すんだん》、石心《せきしん》分裂《ぶんれつ》の思い、愛国の情、転《うた》た切なるを覚ゆ。ああ日本に義士なき乎《か》、ああこの国辱を雪《そそ》がんと欲するの烈士、三千七百万中|一人《いちにん》も非ざる乎、条約改正なき、また宜《むべ》なる哉《かな》と、内を思い、外《ほか》を想うて、悲哀|転輾《てんてん》、懊悩《おうのう》に堪《た》えず。ああ如何《いかん》して可ならん、仮令《たとい》女子たりといえども、固《もと》より日本人民なり、この国辱を雪がずんばあるべからずと、独《ひと》り愁然《しゅうぜん》、苦悶に沈みたりき。何《なん》となれば、他に謀《はか》るの女子なく、かつ小林等は、この際何か計画する様子なるも、儂は出京中他に志望する所ありて、暫《しばら》く一心に英学に従事し居たりしを以て、かつて小林とは互いに主義上、相敬愛せるにもかかわらず、儂《のう》は修業中なるを以て、小林の寓所《ぐうしょ》を訪《と》う事も甚《はなは》だ稀《まれ》なりしを以て、その計画する事件も、求めてその頃は聞かざりしが、儂は日清談判の時に至り、大いに感ずる所あり、奮然書を擲《なげう》ちたり。また小林は予《かね》ての持論に、仮令《たとい》如何《いか》に親密なる間柄《あいだがら》たるも、決して、人の意を枉《ま》げしめて、己《おの》れの説に服従せしむるは、我の好まざる所、いわんやわれわれ計画する処の事は、皆身命に関する事なるにおいてをや、われは意気相投ずるを待って、初めて満腔《まんこう》の思想を、陳述する者なりと、何事においても、総《すべ》てかくの如くなりし。しかるに、忽《たちま》ち朝鮮一件より日清の関係となるや、儂《のう》は曩日《さき》に述べし如く、我が国の安危《あんき》旦夕《たんせき》に迫れり、豈《あに》読書の時ならんやと、奮然書を擲《なげう》ち、先ず小林の処に至り、この際|如何《いかん》の計画あるやを問う。しかれども答えず。因って儂は、あるいは書にし、あるいは百方|言《げん》を尽して、数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》その心事を陳述せしゆえ、やや感ずる所ありけん、漸《ようや》く、今回事件の計画中、その端緒《たんちょ》を聞くを得たり。その端緒とは他に非ず、即ち今回日清争端を開かば、この挙に乗じ、平常の素志《そし》を果さん心意なり。しかして、その計画は既に成りたりといえども、一金額の乏しきを憂うる而已《のみ》との言に儂《のう》は大いに感奮する所あり、如何《いか》にもして、幾分の金《きん》を調《ととの》え、彼らの意志を貫徹せしめんと、即ち不恤緯《ふじゅつい》会社を設立するを名とし、相模《さがみ》地方に遊説し、漸く少数の金を調えたり。しかりといえども、これを以て今回計画中の費用に充《あ》つる能《あた》わず、ただ有志士《ゆうしし》の奔走費《ほんそうひ》位に充つるほどなりしゆえ、儂は種々|砕心粉骨《さいしんふんこつ》すといえども、悲しい哉《かな》、処女の身、如何《いかん》ぞ大金を投ずる者あらんや。いわんやこの重要件は、少しも露発を恐れ告げざるをや、皆徒労に属せり。因って思うに、到底|儂《のう》の如きは、金員《きんいん》を以て、男子の万分の一助たらんと欲するも難《かた》しと、金策の事は全く断念し、身を以て当らんものをと、種々その手段を謀《はか》れり。しかる処、偶※[#二の字点、1−2−22]《たまたま》日清も平和に談判|調《ととの》いたりとの報あり。この報たる実に儂《のう》らのために頗《すこぶ》る凶報なるを以て、やや失望すといえども、何《なん》ぞ中途にして廃せん、なお一層の困難を来《きた》すも、精神一到何事か成らざらん。かつ当時の風潮、日々朝野を論ぜず、一般に開戦論を主張し、その勢力実に盛んなりしに、一朝平和にその局を結びしを以て、その脳裏に徹底する所の感情は大いに儂らのために奇貨《きか》なるなからん乎《か》、この期失うべからずと、即ち新たに策を立て、決死の壮士を択《えら》び、先ず朝鮮に至り事を挙げしむるに如《し》かずと、ここにおいて檄文《げきぶん》を造り、これを飛ばして、国人中に同志を得、共に合力《ごうりょく》して、辮髪奴《べんぱつど》を国外に放逐《ほうちく》し、朝鮮をして純然たる独立国とならしむる時は、諸外国の見る処も、曩日《さき》に政府は卑屈無気力にして、かの辮髪奴のために辱《はずかし》めを受けしも、民間には義士烈婦ありて、国辱をそそぎたりとて、大いに外交政略に関する而已《のみ》ならず、一《いつ》は以て内《うち》政府《せいふ》を改良するの好手段たり、一挙両得の策なり、いよいよ速《すみ》やかにこの挙あらん事を渇望《かつぼう》し、かつ種々心胆を砕《くだ》くといえども、同じく金額の乏しきを以て、その計画成るといえども、いまだ発する能《あた》わず。大井、小林らは、ひたすら金策にのみ、従事し居たりしが、当地においてはもはや目的なしとて、両人は地方を遊説なすとて出で行けり。暫《しばら》くして、大井は中途にして帰京し、小林|独《ひと》り止《とど》まりしが、漸《ようや》くその尽力により、金額|成就《じょうじゅ》せしを以て、いよいよ磯山《いそやま》らは渡行の事に決定し、その発足前《ほつそくぜん》に当り、磯山|儂《のう》に告ぐに、朝鮮に同行せん事を以てす。因って儂は、その必用のある処を問う。磯山告ぐるに、彼是間《ひしかん》の通信者に、最も必用なるを答う。儂熟慮これを諾《だく》す。もっとも儂は、曩日《さき》に東京を出立《しゅったつ》するの時、やはり、磯山の依頼により、火薬を運搬するの約ありて、長崎まで至るの都合なりしが、その義務終りなば、帰京して、第二の策、即ち内地にて、相当の運動をなさんと希図《きと》したりしが、当地(大阪)にてまた朝鮮へ通信のため同行せんとの事に、小林もこれに同意したれば、即ち渡航に決心せり。しかるに、磯山は、弥※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》出立というその前日|逃奔《とうほん》し、更にその潜所《せんしょ》を知る能《あた》わず。故《ゆえ》を以て已《や》むなく新井《あらい》代りてその任に当り、行く事に決せしかば、彼もまた同じく、儂《のう》に同行せん事を以てす。儂既に決心せし時なれば、直ちにこれを諾し、大井、小林と分袂《ぶんべい》し、新井と共に渡航の途《と》に就き、崎陽《きよう》に至り、仁川行《じんせんこう》の出帆《しゅっぱん》を待ち合わせ居たり。しかる所滞留中、磯山逃奔一件に就き、新井代るに及び、壮士間に紛紜《ふんぬん》を生じ、渡航を拒《こば》むの壮士もある様子ゆえ、儂は憂慮に堪えず、彼らに向かい、間接に公私の区別を説きしも、悲しいかな、公私を顧みるの慮《おもんばか》りなく、許容せざるを以て、儂は大いに奮激する所あり、いまだ同志の人に語らざるも、断然決死の覚悟をなしたりけり。その際|儂《のう》は新井に向かいいうよう、儂この地に到着するや否や壮士の心中を窺《うかが》うに、堂々たる男子にして、私情を挟《さしはさ》み、公事を抛《なげう》たんとするの意あり、しかして君《きみ》の代任《だいにん》を忌《い》むの風《ふう》あり、誠に邦家《ほうか》のために歎《たん》ずべき次第なり。しかれども、これらの壮士は、かえって内地に止《とど》まる方《かた》好手段ならんといいしに、新
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