井これに答えて、なるほどしかる乎《か》、かくの如き人あらば、即ち帰らしむべし、何ぞ多人数《たにんず》を要せん。わが諸君に対するの義務は、畢竟《ひっきょう》一身を抛擲《ほうてき》して、内地に止まる人に好手段を与うるの犠牲たるのみなれば、決死の壮士少数にて足れり、何ぞ公私を顧みざる如きの人を要せんやと。儂《のう》この言に感じ、ああこの人国のために、一身の名誉を顧みず、内事《ないじ》は総《すべ》て大井、小林の任ずる所なれば、敢《あ》えて関せず、我は啻《ただ》その義務責任を尽すのみと、自ら奮って犠牲たらんと欲するは、真に志士の天職を、全《まっと》うする者と、暫《しば》し讃嘆の念に打たれしが、儂もまた、この行《こう》決死せざれば、到底充分|平常《へいぜい》希望する処の目的を達する能《あた》わず。かつ儂今回の同行、偏《ひとえ》に通信員に止まるといえども、内事は大井、小林の両志士ありて、充分の運動をなさん。儂《のう》今|仮令《たとい》異国の鬼となるも、事《こと》幸いに成就《じょうじゅ》せば、儂《のう》平常の素志も、彼ら同志の拡張する処ならん。まずこれについての手段に尽力し、彼らに好都合を得せしむるに如《し》かずと。即ち新井を助けて、この手段の好結果を得せしめん、かつそれにつきては、決死の覚悟なかるべからず、しかれども、儂、女子の身《み》腕力あらざれば、頼む所は万人に敵する良器、即ち爆発物のあるあり。仮令《たとい》身体は軟弱なりといえども、愛国の熱情を以て向かうときは、何ぞ壮士に譲《ゆず》らんや。かつ惟《おもえ》らく、儂《のう》は固《もと》より無智無識なり、しかるに今回の行《こう》は、実に大任にして、内は政府の改良を図《はか》るの手段に当り、外は以て外交政略に関し、身命を抛擲《ほうてき》するの栄を受く、ああ何ぞ万死《ばんし》を惜しまんやと、決意する所あり。即ち崎陽《きよう》において、小林に贈るの書中にも、仮令《たとい》国土を異《こと》にするも、共に国のため、道のために尽し、輓近《ばんきん》東洋に、自由の新境域を勃興《ぼっこう》せんと、暗《あん》に永別の書を贈りし所以《ゆえん》なり。ああ儂や親愛なる慈父母あり、人間の深情|親子《しんし》を棄《す》てて、また何かあらん。しかれどもこれ私事なり、儂一女子なりといえども豈《あに》公私を混同せんや。かく重んずべく貴ぶべき身命を抛擲して、敢えて犠牲たらんと欲せしや、他《た》なし、啻《ただ》愛国の一心あるのみ。しかれども、悲しいかな、中途にして発露し、儂が本意を達する能《あた》わず。空《むな》しく獄裏《ごくり》に呻吟《しんぎん》するの不幸に遭遇し、国の安危を余所《よそ》に見る悲しさを、儂|固《もと》より愛国の丹心《たんしん》万死を軽《かろ》んず、永く牢獄にあるも、敢えて怨《うら》むの意なしといえども、啻《ただ》国恩に報酬《ほうしゅう》する能わずして、過ぐるに忍びざるをや。ああこれを思い、彼を想うて、転《うた》た潸然《さんぜん》たるのみ。ああいずれの日か儂《のう》が素志を達するを得ん、ただ儂これを怨むのみ、これを悲しむのみ、ああ。
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[#地から5字上げ]明治十八年十二月十九日大阪警察本署において
[#地から2字上げ]大阪府警部補 広沢鉄郎《ひろさわてつろう》 印
かく冗長《じょうちょう》なる述懐書を獄吏《ごくり》に呈して、廻らぬ筆に仕《し》たり顔したりける当時の振舞のはしたなさよ。理性なくして一片の感情に奔《はし》る青春の人々は、くれぐれも妾《しょう》に観《み》て、警《いまし》むる所あれかし、と願うもまた端《はし》たなしや。さあれ当時の境遇の単純にして幼かりしは、あくまで浮世の浪《なみ》に弄《あそ》ばれて、深く深く不遇の淵底《えんてい》に沈み、果ては運命の測《はか》るべからざる恨《うら》みに泣きて、煩悶《はんもん》遂《つい》に死の安慰を得べく覚悟したりしその後《のち》の妾に比して、人格の上の差異|如何《いか》ばかりぞや、思うてここに至るごとに、そぞろに懐旧の涙《なんだ》の禁《とど》めがたきを奈何《いかに》せん。かく妙齢の身を以て、一念自由のため、愛国のために、一命を擲《なげう》たんとしたりしは、一《いつ》は名誉の念に駆《か》られたる結果とはいえ、また心の底よりして、自由の大義を国民に知らしめんと願うてなりき。当時|拙作《せっさく》あり、
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愛国《あいこくの》丹心《たんしん》万死《ばんし》軽《かろし》 剣華《けんか》弾雨《だんう》亦《また》何《なんぞ》驚《おどろかん》
誰《たれか》言《いう》巾幗《きんこく》不成事《ことをなさずと》 曾《かつて》記《きす》神功《じんごう》赫々《かくかくの》名《な》
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五 不恤緯《ふじゅっい》会社
これより先|妾《しょう》は坂崎氏の家にありて、一心勉学の傍《かたわ》ら、何《なに》とかして同志の婦女を養成せんものと志し、不恤緯会社なるものを起して、婦人に独立自営の道を教え、男子の奴隷たらしめずして、自由に婦女の天職を尽さしめ、この感化によりて、男子の暴横卑劣を救済せんと欲したりしかば、富井於菟《とみいおと》女史と謀《はか》りて、地方有志の賛助を得、資金も現に募集の途《みち》つきて、ゆくゆくは一大団結を組織するの望みありき。しかるに事は志と齟齬《そご》して、富井女史は故郷に帰るの不幸に遇《あ》えり。ついでに女史の履歴を述べて見ん。
六 於菟《おと》女史
富井於菟女史は播州《ばんしゅう》竜野《たつの》の人、醤油《しょうゆ》屋に生れ、一人《いちにん》の兄と一人《いちにん》の妹とあり。幼《おさなき》より学問を好みしかば、商家には要なしと思いながらも、母なる人の丹精《たんせい》して同所の中学校に入れ、やがて業を卒《お》えて後《のち》、その地の碩儒《せきじゅ》に就きて漢学を修め、また岸田俊子《きしだとしこ》女史の名を聞きて、一度《ひとたび》その家の学婢《がくひ》たりしかど、同女史より漢学の益を受くる能《あた》わざるを知ると共に、女史が中島信行《なかじまのぶゆき》氏と結婚の約成りし際なりしかば、暫時《ざんじ》にしてその家を辞し坂崎氏の門に入りて、絵入《えいり》自由燈《じゆうのともしび》新聞社の校正を担当し、独立の歩調を取られき。我が国の女子にして新聞社員たりしは、実に於菟《おと》女史を以て嚆矢《こうし》とすべし。かくて女史は給料の余りを以て同志の婦女を助け、共に坂崎氏の家に同居して学事に勉《つと》めしめ、自ら訓導の任に当りぬ。妾の坂崎氏を訪うや、女史と相見て旧知の感あり、遂《つい》に姉妹の約をなし生涯相助けんことを誓いつつ、万《よろず》秘密を厭《いと》い善悪ともに互いに相語らうを常とせり。されば妾は朝鮮変乱よりして、東亜の風雲|益《ますます》急なるよしを告げ、この時この際、婦人の身また如何《いか》で空《むな》しく過すべきやといいけるに、女史も我が当局者の優柔不断を慨《なげ》き、心|私《ひそ》かに決する処あり、いざさらば地方に遊説して、国民の元気を興《おこ》さんとて、坂崎氏には一片《いっぺん》の謝状を遺《のこ》して、妾と共に神奈川地方に奔《はし》りぬ。実に明治十八年の春なり。両人神奈川県|荻野《おぎの》町に着《ちゃく》し、その地の有志荻野氏および天野氏の尽力によりて、同志を集め、結局|醵金《きょきん》して重井《おもい》(変名)、葉石《はいし》等志士の運動を助けんと企《くわだ》てしかど、その額余りに少なかりしかば、女史は落胆して、この上は郷里の兄上を説き若干《じゃっかん》を出金せしめんとて、ただ一人帰郷の途《と》に就きぬ、旅費は両人の衣類を典《てん》して調《ととの》えしなりけり。
七 髪結洗濯
女史と相別れし後《のち》、妾《しょう》は土倉《どくら》氏の学資を受くるの資格なきことを自覚し、職業に貴賤《きせん》なし、均《ひと》しく皆神聖なり、身には襤褸《らんる》を纏《まと》うとも心に錦《にしき》の美を飾りつつ、姑《しば》らく自活の道を立て、やがて霹靂《へきれき》一声《いっせい》、世を轟《とどろ》かす事業を遂《と》げて見せばやと、ある時は髪結《かみゆい》となり、ある時は洗濯屋、またある時は仕立物屋ともなりぬ。広き都《みやこ》に知る人なき心|易《やす》さは、なかなかに自活の業《わざ》の苦しくもまた楽しかりしぞや。かくて三旬ばかりも過ぎぬれど、女史よりの消息なし。さては人の心の頼めなきことよなど案じ煩《わずら》いつつ、居《い》て待たんよりは、むしろ行きて見るに若《し》かずと、これを葉石氏に議《はか》りしに、心変りならば行くも詮《せん》なし、さなくばおるも消息のなからんやという。実《げ》にさなりと思いければ、余儀なくもその言葉に従い、また幾日をか過ぎぬるある日、鉛筆もてそこはかと認《したた》めたる一封の書は来《きた》りぬ。見れば怨《うら》めしくも恋しかりし女史よりの手紙なり。冒頭に「アアしくじったり誤りたり取餅桶《とりもちおけ》に陥《おちい》りたり今日《こんにち》はもはや曩日《さき》の富井《とみい》にあらず妹《まい》は一死以て君《きみ》に謝せずんばあらず今日の悲境は筆紙の能《よ》く尽す処にあらずただただ二階の一隅に推《お》しこめられて日々なす事もなく恋しき東の空を眺《なが》め悲哀に胸を焦《こが》すのみ余は記する能《あた》わず幸いに諒《りょう》せよ」とあり。言《こと》は簡なれども、事情の大方は推《すい》せられつ。さて何とか救済の道もがなと千々《ちぢ》に心を砕《くだ》きけれども、その術なし。さらば己れ女史の代りをも兼ねて、二倍の働きをなし、この本意を貫かんのみとて、あたかも郷里より慕《した》い来りける門弟のありしを対手《あいて》として日々髪結洗濯の業《わざ》をいそしみ、僅《わず》かに糊口《ここう》を凌《しの》ぎつつ、有志の間に運動して大いにそが信用を得たりき。
八 暁夢を破る
しかるにその年の九月初旬|妾《しょう》が一室を借り受けたる家の主人は、朝未明《あさまだき》に二階下より妾を呼びて、景山《かげやま》さん景山さんといと慌《あわ》ただし。暁《あかつき》の夢のいまだ覚《さ》めやらぬほどなりければ、何事ぞと半ばは現《うつつ》の中に問い反《かえ》せしに、女のお客さんがありますという。何《なん》という方ぞと重ねて問えば富井さんと仰有《おっしゃ》いますと答う。なに富井さん! 妾は床《とこ》を蹶《け》りて飛び起きたるなり。階段を奔《はし》り下《お》りるも夢心地《ゆめごこち》なりしが、庭に立てるはオオその人なり。富井さんかと、われを忘れて抱《いだ》きつき、暫《しば》しは無言の涙なりき。懐《なつ》かしき女史は、幾日の間をか着のみ着のままに過しけん、秋の初めの熱苦《あつくる》しき空を、汗臭《あせくさ》く無下《むげ》に汚《よご》れたる浴衣《ゆかた》を着して、妙齢の処女のさすがに人目|羞《はず》かしげなる風情《ふぜい》にて、茫然《ぼうぜん》と庭に佇《たたず》めるなりけり。さてあるべきに非《あら》ざれば、二階に扶《たす》け上《あ》げて先ず無事を祝し、別れし後《のち》の事ども何くれと尋《たず》ねしに、女史は涙ながらに語り出づるよう、御身《おんみ》に別れてより、無事郷里に着き、母上|兄妹《けいまい》の恙《つつが》なきを喜びて、さて時ならぬ帰省の理由かくかくと述べけるに、兄は最《い》と感じ入りたる体《てい》にて始終耳を傾け居たり。その様子に胸先ず安く、遂《つい》に調金の事を申し出でしに、図《はか》らざりき感嘆の体と見えしは妾《しょう》の胆太《きもふと》さを呆《あき》れたる顔ならんとは。妾の再び三たび頼み聞えしには答えずして、徐《しず》かに沈みたる底《そこ》気味わるき調子もて、かかる大《だい》それたる事に加担する上は、当地の警察署に告訴して大難を未萌《みほう》に防《ふせ》がずばなるまじという。妾は驚きつつまた腹立たしさの遣《や》る瀬《せ》なく、骨肉の兄と思えばこそかく大事を打ち明けしなるに、卑怯《ひきょう》にも警察[#
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