さらぬだに祖先より代々《よよ》教導を以て任とし来《きた》れるわが家《いえ》の名は、忽《たちま》ち近郷《きんごう》にまで伝えられ、入学の者日に増して、間もなく一家は尊敬の焼点《しょうてん》となりぬ。依《よ》りてある寺を借り受けて教場を開き、夜《よ》は更に昼間就学の暇《いとま》なき婦女、貧家《ひんか》の子弟に教え、母上は習字を兄上は算術を受け持ちて妾を助け、土曜日には討論会、演説会を開きて知識の交換を謀《はか》り、旧式の教授法に反対してひたすらに進歩主義を採りぬ。


 四 岸田女史|来《きた》る

 その歳《とし》有名なる岸田俊子《きしだとしこ》女史([#ここから割り注]故中島信行氏夫人[#ここで割り注終わり])漫遊し来《きた》りて、三日間わが郷《きょう》に演説会を開きしに、聴衆雲の如く会場|立錐《りっすい》の地だも余《あま》さざりき。実《げ》にや女史がその流暢《りゅうちょう》の弁舌もて、滔々《とうとう》女権拡張の大義を唱道せられし時の如き妾《しょう》も奮慨おく能《あた》わず、女史の滞在中有志家を以て任ずる人の夫人令嬢等に議《はか》りて、女子懇親会を組織し、諸国に率先《そっせん》して、婦
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