うて通いにき。近所の小供《こども》らのこれを観《み》て異様の感を抱き、さてこそ男子とも女子ともつかぬ、いわゆる「マガイ」が通るよとは罵りしなるべし。これを懐《おも》うごとに、今も背に汗のにじむ心地す。ようよう世心《よごころ》の付き初《そ》めて、男装せし事の恥かしく髪を延ばすに意を用いたるは翌年十七の春なりけり。この時よりぞ始めて束髪《そくはつ》の仲間入りはしたりける。
二 自由民権
十七歳の時は妾《しょう》に取りて一生忘れがたき年なり。わが郷里には自由民権の論客《ろんかく》多く集まり来て、日頃兄弟の如く親しみ合える、葉石久米雄《はいしくめお》氏(変名)またその説の主張者なりき。氏は国民の団結を造りて、これが総代となり、時の政府に国会開設の請願をなし、諸県に先だちて民衆の迷夢を破らんとはなしぬ。当時母上の戯《たわむ》れに物せし大津絵《おおつえ》ぶしあり。
[#ここから2字下げ]
すめらみの、おためとて、備前《びぜん》岡山を始めとし、数多《あまた》の国のますらおが、赤い心を墨で書き、国の重荷を背負いつつ、命は軽き旅衣《たびごろも》、親や妻子《つまこ》を振り捨てて。(詩入《しいり》)
前へ
次へ
全171ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福田 英子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング