と土倉氏との恩恵なりかし。
三 書窓(しょそう)の警報
それより数日《すじつ》を経て、板伯《はんはく》よりの来状あり、東京に帰る有志家のあるを幸い、御身《おんみ》と同伴の事を頼み置きたり、直《す》ぐに来《こ》よ紹介せんとの事に、取り敢《あ》えず行きて見れば、有志家とは当時自由党の幹事たりし佐藤貞幹《さとうていかん》氏にてありければ、妾《しょう》はいよいよ安心して、翌日神戸|出帆《しゅっぱん》の船に同乗し、船の初旅も恙《つつが》なく将《は》た横浜よりの汽車の初旅も障《さわ》りなく東京に着《ちゃく》して、兼《か》ねて板伯より依頼なし置くとの事なりし『自由燈《じゆうのともしび》新聞』記者|坂崎斌《さかざきさかん》氏の宅に至り、初対面の挨拶を述べて、将来の訓導を頼み聞え、やがて築地《つきじ》なる新栄《しんさかえ》女学校に入学して十二、三歳の少女と肩を並べつつ、ひたすらに英学を修め、傍《かたわ》ら坂崎氏に就《つ》きて心理学およびスペンサー氏社会哲学の講義を聴き、一念読書界の人とはなりぬ。かかりしほどに、一日《あるひ》朝鮮変乱に引き続きて、日清の談判開始せられたりとの報、端《はし》なくも妾
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