、板垣伯《いたがきはく》を始めとして、当時名を得たる人々ども、いずれも下阪《げはん》し、土倉庄三郎氏もまた大阪に出でしとの事に、好機|逸《いっ》すべからずとて、遂《つい》に母上までも欺《あざむ》き参らせ、親友の招きに応ずと言い繕《つくろ》いて、一週間ばかりの暇《いとま》を乞い、翌日家の軒端《のきば》を立ち出《い》でぬ。実に明治十七年の初秋《はつあき》なりき。
二 板垣伯に謁《えっ》す
友人の家に著《つ》くより、翌日の大阪行きの船の時刻を問い合せ、午後七時頃とあるに、今更ながら胸騒がしぬ。されど兼《かね》ての決心なり、明くれば友人の懇《ねんご》ろに引き止むるをも聴かず、暇乞《いとまご》いして大阪に向かいぬ。しかるに妾《しょう》と室を同じうせる四十ばかりの男子ありて、頻《しき》りに妾の生地を尋ねつつ此方《こなた》の顔のみ注視する体《てい》なるに、妾は心安からず、あるいは両親よりの依托を受けて途中ここに妾を待てるには非《あら》ざる乎《か》と、一旦《いったん》は少なからず危《あや》ぶめるものから、もと妾の郷《きょう》を出づるは不束《ふつつか》ながら日頃の志望を遂《と》げんとてなり、かの
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