さらぬだに祖先より代々《よよ》教導を以て任とし来《きた》れるわが家《いえ》の名は、忽《たちま》ち近郷《きんごう》にまで伝えられ、入学の者日に増して、間もなく一家は尊敬の焼点《しょうてん》となりぬ。依《よ》りてある寺を借り受けて教場を開き、夜《よ》は更に昼間就学の暇《いとま》なき婦女、貧家《ひんか》の子弟に教え、母上は習字を兄上は算術を受け持ちて妾を助け、土曜日には討論会、演説会を開きて知識の交換を謀《はか》り、旧式の教授法に反対してひたすらに進歩主義を採りぬ。


 四 岸田女史|来《きた》る

 その歳《とし》有名なる岸田俊子《きしだとしこ》女史([#ここから割り注]故中島信行氏夫人[#ここで割り注終わり])漫遊し来《きた》りて、三日間わが郷《きょう》に演説会を開きしに、聴衆雲の如く会場|立錐《りっすい》の地だも余《あま》さざりき。実《げ》にや女史がその流暢《りゅうちょう》の弁舌もて、滔々《とうとう》女権拡張の大義を唱道せられし時の如き妾《しょう》も奮慨おく能《あた》わず、女史の滞在中有志家を以て任ずる人の夫人令嬢等に議《はか》りて、女子懇親会を組織し、諸国に率先《そっせん》して、婦人の団結を謀《はか》り、しばしば志士|論客《ろんかく》を請《しょう》じては天賦《てんぷ》人権自由平等の説を聴き、おさおさ女子古来の陋習《ろうしゅう》を破らん事を務めしに、風潮の向かう所入会者引きも切らず、会はいよいよ盛大に赴《おもむ》きぬ。

 五 納涼会

 同じ年の夏、自由党員の納涼会を朝日川に催すこととなり、女子懇親会にも同遊を交渉し来《きた》りければ、元老女史竹内、津下《つげ》の両女史と謀《はか》りてこれに応じ、同日夕刻より船を朝日川に泛《うか》ぶ。会員楽器に和して、自由の歌を合奏す、悲壮の音《おん》水を渡りて、無限の感に打たれしことの今もなおこの記憶に残れるよ。折しも向かいの船に声こそあれ、白由党員の一人《いちにん》、甲板《かんぱん》の上に立ち上りて演説をなせるなり。殺気|凜烈《りんれつ》人をして慄然《りつぜん》たらしむ。市中ならんには警察官の中止解散を受くる際《きわ》ならんに、水上これ無政府の心|易《やす》さは何人《なんびと》の妨害もなくて、興《きょう》に乗ずる演説の続々として試みられ、悲壮激越の感、今や朝日川を領せるこの時、突然として水中に人あり、海坊主の如く現われて、会に中止解散を命じぬ。図《はか》らざりきこの船遊びを胡乱《うろん》に思い、恐るべき警官が、水に潜《ひそ》みてその挙動を伺《うかが》い居たらんとは。船中の人々は今を興|闌《たけなわ》の時なりければ、河童《かっぱ》を殺せ、なぐり殺せと犇《ひし》めき合い、荒立ちしが、長者《ちょうじゃ》の言《げん》に従いて、皆々|穏《おだ》やかに解散し、大事《だいじ》に至らざりしこそ幸いなれ。されど妾《しょう》の学校はその翌日、時の県令|高崎《たかさき》某より、「詮議《せんぎ》の次第《しだい》有之《これあり》停止《ていし》候事《そうろうこと》」、との命を蒙《こうむ》りたり。詮議の次第とは何事ぞ、その筋に向かいて詰問する所ありしかど何故《なにゆえ》か答えなければ、妾の姉婿《しせい》某が県会議員常置委員たりしに頼《よ》りてその故を尋《たず》ねしめけるに、理由は妾が自由党員と船遊びを共にしたりというにありて、姉婿さえ譴責《けんせき》を加えられ、暫《しばら》く謹慎《きんしん》を表する身の上とはなりぬ。
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  第二 上京


 一 故郷を捨つ

 政府が人権を蹂躙《じゅうりん》し、抑圧を逞《たくま》しうして憚《はばか》らざるはこれにても明《あき》らけし。さては、平常先輩の説く処、洵《まこと》にその所以《ゆえ》ありけるよ。かかる私政に服従するの義務|何処《いずく》にかあらん、この身は女子なれども、如何《いか》でこの弊制《へいせい》悪法を除かずして止《や》むべきやと、妾《しょう》は怒りに怒り、※[#「二点しんにょう+(山/而)」、第4水準2−89−92]《はや》りに※[#「二点しんにょう+(山/而)」、第4水準2−89−92]りて、一念また生徒の訓導に意なく、早く東都に出《い》でて有志の士に謀《はか》らばやとて、その機の熟するを待てる折しも、妾の家を距《さ》る三里ばかりなる親友|山田小竹女《やまだこたけじょ》の許《もと》より、明日《みょうにち》村に祭礼あり、遊びに来まさずやと、切《せつ》なる招待の状|来《きた》れり。そのまま東都に奔《はし》らんにいと序《つい》でよしと思いければ、心には血を吐くばかり憂かりしを忍びつつ、姉上をも誘《いざな》いて、祖先の墓を拝せんことを母上に勧め、親子三人引き連れて約一里ばかりの寺に詣《もう》で、暫《しばら》く黙祷《もくとう》して妾が志《こころざし》を祖先に告
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