とたび》交誼《こうぎ》を結ばんとの念はありしなるべし。ある日|関東倶楽部《かんとうくらぶ》に一友人を尋《たず》ねし時、一紳士《いつしんし》の微笑しつつ、好処《よいところ》にてお目にかかれり、是非お宅へ御尋ね申したき事ありというを冒頭に、妾の方《ほう》に近づき来りて、慇懃《いんぎん》に挨拶せるは福田なり。そは如何《いか》なる御用にやと問い反《かえ》せしに、彼は妾の学校の当時なお存しおる者と思い居たるが如く、今回郷里なる親戚の小供の出京するにつきては、是非とも御依頼せんと思うなりという。依って妾は目下都合ありて閉校せることを告げ、尤《もっと》も表面学校生活はなしおらざるも、両三人自宅に同居して読書習字の手ほどきをなしおれり、それにて差し支えなくば御越《おんこ》しなさるるも宜《よろ》しけれど、実の処、一方《ひとかた》ならぬ困窮に陥《おちい》りて学校らしき体面をすら装う能《あた》わずと話しけるに、彼は何事にか大いに感じたる体《てい》なりしも道理、その際彼も米国より帰朝以来、小石川《こいしかわ》竹早町《たけはやちょう》なる同人社《どうにんしゃ》の講師として頗《すこぶ》る尽瘁《じんすい》する所ありしに、不幸にして校主|敬宇《けいう》先生の遠逝《えんせい》に遭《あ》い閉校の止《や》むなき有様となりたるなり。その境遇あたかも妾と同じかりければ、彼は同情の念に堪えざるが如く、頻《しき》りに妾の不運を慰めしが、その後《のち》両親との意見|相和《あいわ》せずして、益※[#二の字点、1−2−22]不幸の境に沈むと同時に、同情相憐れむの念いよいよ深く、果《はて》は妾に向かい再び海外に渡航して、かの国にて世を終らんかなどの事をさえ打ち明くるに至りければ、妾もまたその情に撃たれつつ、御身《おんみ》は妾と異なりて、財産家の嫡男《ちゃくなん》に生れ給い、一度《ひとたび》洋行してミシガン大学の業を卒《お》え、今は法学士の免状を得て、芽出《めで》たく帰朝せられし身ならずや、何故《なにゆえ》なればかかる悲痛の言をなし給うぞ。妾の如く貧家に生れ今日《こんにち》重ねてこの不運に遇《あ》いて、あわや活路を失わんずるものとは、同日《どうじつ》の談にあらざるべしと詰《なじ》りしに、実に彼は貧《ひん》よりもなおなおつらき境遇に彷徨《さまよ》えるにてありき。彼は忽《たちま》ち眼中に涙を浮べて、財産家に生るるが幸福なりとか、御身《おんみ》の言葉|違《たが》えり、仮令《たとえ》ばその日暮《ひぐら》しのいと便《びん》なきものなりとも、一家|団欒《だんらん》の楽しみあらば、人の世に取りて如何《いか》ばかりか幸福ならん。素《も》と自分の洋行せしは、親より強《し》いて従妹なる者と結婚せしめられ、初めより一毫《いちごう》の愛とてもなきものを、さりとは押し付けの至りなるが腹立たしく、自暴《やけ》より思い付ける遊学なりき。されば両親も自ら覚《さと》る所ありてか遊学中も学資を送り来りて、七年の修業を積むことを得《え》、先に帰朝の後は自分の理想を家庭に施す事を得んと楽しみたりしに、志《こころざし》はまた事と違いて、昔に優《まさ》る両親の処置の情《なさ》けなさ、かかる家庭にあるも心苦しくて他出《たしゅつ》することの数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》なりしにつれて、覚えずも魔の道に踏み迷い、借財山の如くになりて遂《つい》に父上の怒りに触れ、かかる放蕩《ほうとう》者の行末《ゆくすえ》ぞ覚束《おぼつか》なき、勘当せんと敦圉《いきま》き給えるよし聞きたれば、心ならずも再びかの国に渡航して身を終らんと覚悟せるなりと物語る。アア妾もまた不幸|落魄《らくはく》の身なり、不徳不義なる日本紳士の中《うち》に立ち交らんよりは、知らぬ他郷こそ恋しけれといいけるに、彼は忽《たちま》ち活々《いきいき》しく、さらば自分と同行するの意はなきや、幸い十年足らずかの地に遊学せし身なれば、かの地の事情に精通せりなど、真心《まごころ》より打ち出《いだ》されて、遠き沙漠《さばく》の旅路に清き泉を得たらんが如く、嬉しさ慕《した》わしさの余りより、その後|数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》相会しては、身にしみじみと世の果敢《はか》なさを語り語らるる交情《なからい》となりぬ。ある日彼は改めて御身《おんみ》にさえ異存なくば、この際結婚してさて渡航の準備に着手せんといい出でぬ。妾も心中この人ならばと思い定めたる折柄《おりから》とて、直ちに承諾の旨《むね》を答え、いよいよ結婚の約を結びて、母上にも事情を告げ、彼も公然その友人らに披露《ひろう》して、それより同棲《どうせい》することとなり、一時|睦《むつ》まじき家庭を造りぬ。
二 貧書生《ひんしょせい》
その頃の新聞紙上には、豪農の息子|景山英《かげやまひで》と結婚すなどの記事も
前へ
次へ
全43ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福田 英子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング