包《つつ》ましげなるに、顔色さえ悪《あ》しかりしを、親《した》しめる女囚に怪《あや》しまれて、しばしば問われて、秘めおくによしなく、遂《つい》に事|云々《しかじか》と告げけるに、彼女の驚きはなかなか妾にも勝《まさ》りたりき。

 七 理想の夫

 かくの如く男らしき妾《しょう》の発達は早かりしかど、女としての妾は、極めて晩《おそ》き方《かた》なりき。但《ただ》し女としては早晩《そうばん》夫《おっと》を持つべきはずの者なれば、もし妾にして、夫を撰《えら》ぶの時機来らば、威名|赫々《かくかく》の英傑《えいけつ》に配すべしとは、これより先、既に妾の胸に抱《いだ》かれし理想なりしかど、素《もと》より世間見ずの小天地に棲息《せいそく》しては、鳥なき里の蝙蝠《かわほり》とは知らんようなく、これこそ天下の豪傑なれと信じ込みて、最初は師としてその人より自由民権の説を聴き、敬慕の念|漸《ようや》く長じて、卒然夫婦の契約をなしたりしは葉石《はいし》なり。されどいまだ「ホーム」を形造《かたちづく》るべき境遇ならねば、父母|兄弟《けいてい》にその意志を語りて、他日の参考に供し、自分らはひたすら国家のために尽瘁《じんすい》せん事を誓いおりしに、図《はか》らずも妾が自活の途《みち》たる学舎は停止せられて、東上するの不幸に陥《おちい》り、なお右の如き種々の計画に与《あずか》りて、ほとんど一身《いっしん》を犠牲となし、果《はて》は身の置き所なき有様とさえなりてよりは、朝夕《ちょうせき》の糊口《ここう》の途《みち》に苦しみつつ、他の壮士らが重井《おもい》、葉石らの助力を仰ぎしにも似ず、妾は髪結《かみゆい》洗濯を業として、とにもかくにも露の生命《いのち》を繋《つな》ぐほどに、朝鮮の事件始まりて、長崎に至る途《みち》すがら、妾と夫婦の契約をなしたる葉石は、いうまでもなく、妻子《さいし》眷属《けんぞく》を国許《くにもと》に遺《のこ》し置きたる人々さえ、様々の口実を設けては賤妓《せんぎ》を弄《もてあそ》ぶを恥《はじ》とせず、終《つい》には磯山の如き、破廉恥《はれんち》の所為《しょい》を敢《あ》えてするに至りしを思い、かかる私欲の充《み》ちたる人にして、如何《いか》で大事を成し得んと大いに反省する所あり、さてこそ長崎において永別の書をば葉石に贈りしなれ。しかるに今公判開廷の報に接しては、さきに一旦《いったん》
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