たま》の醜《みにく》さは人に見らるるも恥かしき思いなりしが、後《あと》にて聞けば妾《しょう》の親愛なる富井於菟《とみいおと》女史は、この時|娑婆《しゃば》にありて妾と同病に罹《かか》り、薬石効《やくせきこう》なく遂《つい》に冥府《めいふ》の人となりけるなり。さても頼みがたきは人の生命《いのち》かな、女史は妾らの入獄せしより、ひたすら謹慎《きんしん》の意を表し、耶蘇《ヤソ》教に入りて、伝道師たるべく、大いに聖書を研究し居たりしなるに、迷心執着の妾は活《い》きて、信念堅固の女史は逝《ゆ》きぬ。逝ける女史を不幸とすべきか、生ける妾を幸《こう》というべきか、この報を聞きたる時、妾は実に無限の感に打たれにき。

 六 生理上の一変象

 ここにまた一つ記《しる》し付くべき事あり。かかる事は仮令《たとえ》真実なりとも、忌《い》むべく憚《はばか》るべきこととして、大方の人の黙して止《や》むべき所なるべけれど、一つは生理学および生理と心理との関係を究《きわ》むる人々のために、一つは当時の妾が、女とよりはむしろ男らしかりしことの証《あか》しにもならんかとて、敢《あ》えて身の羞恥《はじ》をば打ち明くるなり。読む者|強《あなが》ちに、はしたなき業《わざ》とのみ落しめ給うことなくば幸いなり。さて記《き》すべき事とは何《な》にぞ、そは妾の身体の普通ならずして、牢獄にありし二十二歳の当時まで、女にはあるべき月のものを知らざりし事なり。普通の女子は、大抵十五歳前後より、その物のあるものぞと聞くに、妾は常に母上の心配し給える如く、生れ付き男子の如く、殺風景にて、婦人のしおらしき風情《ふぜい》とては露ほどもなく、男子と漢籍の講莚《こうえん》に列してなお少しも羞《はずか》しと思いし事なし。さるからに、母上は妾の将来を気遣う余り、時々「恋せずば人の心はなからまし、物の哀れはこれよりぞ知る」という古歌を読み聞かせては、妾の所為《しょい》を誡《いまし》め給いしほどなれば、幼友達《おさなともだち》の皆|人《ひと》に嫁《か》して、子を挙《あ》ぐる頃となりても、妾のみは、いまだあるべきものをだに見ざるを知りて、母上はいよいよ安からず、もしくば世にいう石女《いしめ》の類《たぐい》にやなど思い悩み給いにき。しかるに今獄中にありて或る日突然その事あり、その時の驚きは今更に言うの要なかるべし。妾の容子《ようす》の常になく
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