て、妾の赤面するを面白がり、なお本気の沙汰《さた》とも覚えぬ振舞に渡りて、妾を弄《もてあそ》ばんとするものもあり、中には真実|籠《こ》めし艶書《えんしょ》を贈りて好《よ》き返事をと促すもあり、また「君|徐世賓《じょせいひん》たらばわれ奈翁《ナポレオン》たらん」などと遠廻しに諷《ふう》するもありて、諸役人皆|妾《しょう》の一顰一笑《いっぴんいっしょう》を窺《うかが》えるの観ありしも可笑《おか》しからずや。されば女監取締りの如きすら、妾の眷顧《けんこ》を得んとて、私《ひそ》かに食物菓子などを贈るという有様なれば、獄中の生活はなかなか不自由がちの娑婆《しゃば》に優《まさ》る事数等にて、裁判の事など少しも心に懸《かか》らず、覚えずまたも一年ばかりを暮せしが、十九年の十一月頃、ふと風邪《ふうじゃ》に冒《おか》され、漸次《ぜんじ》熱発《はつねつ》甚《はなは》だしく、さては腸|窒扶斯《チブス》病との診断にて、病監に移され、治療|怠《おこた》りなかりしかど、熱気いよいよ強く頗《すこぶ》る危篤《きとく》に陥《おちい》りしかば、典獄署長らの心配|一方《ひとかた》ならず、弁護士よりは、保釈を願い出で、なお岡山の両親に病気危篤の旨《むね》を打電したりければ、岡山にてはもはや妾を亡《な》きものと覚悟し、電報到着の夜《よ》より、親戚《しんせき》故旧《こきゅう》打ち寄りて、妾の不運を悲しみ、遺屍《いし》引き取りの相談までなせしとの事なりしも、幸いにして幾ほどもなく快方に向かい、数十日《すじゅうにち》を経て漸《ようや》く本監に帰りたる嬉《うれ》しさは、今に得《え》も忘られぬ所ぞかし。他の囚人らも妾のために、日夜全快を祈りおりたりしとの事にて、妾の帰監するを見るより、宛然《さながら》父母の再生を迎うるが如くに喜びくれぬ。これも妾が今も感謝に堪えぬ所なり。不自由なる牢獄にて大患に罹《かか》りし事とて、一時全快はなしたるものから、衰弱の度甚だしく、病気よりは疲労にて斃《たお》るることもやと心配せしに、これすら漸《ようや》く回復して、遂《つい》には病前よりも一層の肥満を来し、その当時の写真を見ては、一驚を喫《きっ》するほどなり。
五 女史の訃音《ふおん》
それより数日《すじつ》を経て翌二十年五月二十五日公判開廷の際には、あたかも健康回復の期にありて、頭髪|悉《ことごと》く抜け落ち、薬罐頭《やかんあ
前へ
次へ
全86ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福田 英子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング