に登り、三人それぞれに晩餐《ばんさん》を命じけれども、心ここにあらざれば如何《いか》なる美味も喉《のんど》を下《くだ》らず、今や捕吏《ほり》の来らんか、今や爆発の響《ひびき》聞えん乎《か》と、三十分がほどを千日《せんにち》とも待ち詫《わ》びつ、やがて一時間ばかりを経《へ》て宿屋の若僕《わかもの》三人の荷物を肩に帰り来りぬ。再生の思いとはこの時の事なるべし。消毒終りて、衣類も己れの物と着換え、それより長崎行の船に乗りて名に高き玄海灘《げんかいなだ》の波を破り、無事長崎に着きたるは十一月の下旬なり。
十 絶縁の書
ここにて朝鮮行の出船を待つほどに、ある日無名氏より「荷物|濡《ぬ》れた東に帰れ」との電報あり。もし渡韓の際政府の注目|甚《はなは》だしく、大事発露の恐れありと認むる時は、誰よりなりとも「荷物濡れた」の暗号電報を発して、互いに警告すべしとは、かつて磯山らと約しおきたる所なりき。さては磯山の潜伏中大事発覚してかくは警戒し来れるにや、あるいは磯山自ら卑怯《ひきょう》にも逃奔《とうほん》せし恥辱《ちじょく》を糊塗《こと》せんために、かくは姑息《こそく》の籌《はかりごと》を運《めぐ》らして我らの行を妨《さまた》げ、あわよくば縛《ばく》に就かしめんと謀《はか》りしには非《あら》ざる乎《か》と種々評議を凝《こら》せしかど、終《つい》に要領を得ず、東京に打電して重井《おもい》に質《ただ》さんか、出船の期の迫りし今日そもまた真意を知りがたからん、とかくは打ち棄てて顧みず、向かうべき方《かた》に進まんのみと、古井より他《た》の壮士にこの旨《むね》を伝えしに、彼らの中《うち》には古井が磯山に代りしを忌《い》むの風《ふう》ありて議|諧《かな》わず、やや不調和の気味ありければ、かかる人々は潔《いさぎよ》く帰東せしむべし、何ぞ多人数《たにんず》を要せん、われは万人に敵する利器を有せり、敢えて男子に譲らんやと、古井に同意を表して稲垣をば東京に帰らしめ、決死の壮士十数名を率《ひき》いて渡韓する事に決しぬ。これにて妾も心安く、一日長崎の公園に遊びて有名なる丸山など見物し、帰途|勧工場《かんこうば》に入りて筆紙墨《ひっしぼく》を買い調《ととの》え、薄暮《はくぼ》旅宿に帰りけるに、稲垣はあらずして、古井|独《ひと》り何か憂悶《ゆうもん》の体《てい》なりしが、妾の帰れるを見て、共に晩餐を喫《
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