たれ》かはこれをさるものと思うべき。世にはこれよりも更に大《だい》なる悪、大なる罪を犯しながら白昼大手を振りて、大道《だいどう》を濶歩《かっぽ》する者も多かるに、大《だい》を遺《わす》れて小《しょう》を拾う、何たる片手落ちの処置ぞやなど感ぜし事も数※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》なりき。穴賢《あなかしこ》、この感情は、一度《ひとたび》入獄の苦を嘗《な》めし人ならでは語るに足らず、語るも耳を掩《おお》わんのみ。かくて妾《しょう》は世の人より大罪人大悪人と呼ばるる無頼《ぶらい》の婦女子と室を同じうし、起臥《きが》飲食を共にして、ある時はその親ともなり、ある時はその友ともなりて互いに睦《むつ》み合うほどに、彼らの妾を敬慕すること、かのいわゆる娑婆《しゃば》における学校教師と子弟との情は物かは、倶《とも》にこの小天地に落ちぬるちょう同情同感の力もて、能《よ》く相一致せる真情は、これを肉身に求めてなお得がたき思いなりき。かかるほどに、獄中常に自《おの》ずからの春ありて、靄然《あいぜん》たる和気《わき》の立ち籠《こ》めし翌年四、五月の頃と覚ゆ、ある日看守は例の如く監倉《かんそう》の鍵《かぎ》を鳴らして来り、それ新入《しんにゅう》があるぞといいつつ、一人の垢染《あかじ》みたる二十五、六の婦人を引きて、今や監倉の戸を開かんとせし時、婦人は監外より妾の顔を一目見て、物をもいわず、わっとばかりに泣き出しけり。何故《なにゆえ》とは知るよしもなけれど、ただこの監獄の様《さま》の厳《いか》めしう、怖《おそ》ろしきに心|怯《おび》えて、かつはこれよりの苦を偲《しの》び出でしにやあらんなど、大方《おおかた》に推《お》し測《はか》りて、心|私《ひそ》かに同情の涙を湛《たた》えしに、婦人はやがて妾に向かいて、あなた様には御覚《おんおぼ》えなきか知らねど、私はかつて一日とてもあなた様を思い忘れしことなし。御顔《おんかお》も能《よ》く覚えたり。あなた様は、先年八軒屋の宿屋にて、女乞食に金員を恵まれし事あるべし、その時の女乞食こそは私なれ、何の因縁《いんねん》にてか、再びかかる処にて御目《おんめ》にはかかりたるぞ、これも良人《おっと》や小供の引き合せにて私の罪を悔《く》いさせ、あなた様に先年の御礼《おんれい》を申し上げよとの事ならん。あなた様が憐《あわ》れみて五十銭を恵み給いし小供は、悪性の疱瘡
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