けれども、なおこの乞食には優《まさ》るべし、思えば気の毒の母よ子よと惻隠《そくいん》の心|禁《とど》めがたくて、覚えず階上より声をかけつつ、妾には当時大金なりける五十銭紙幣に重錘《おもり》をつけて投げ与えけるに、彼女は何物が天より降《ふ》り来りしとように驚きつつ、拾いとりてまた暫《しば》し躊躇《ためら》いたり。妾は重《かさ》ねて、それを小供に与えよと言いけるに、始めて安堵《あんど》したるらしく、幾度《いくたび》か押し戴《いただ》くさまの見るに堪えず、障子をしめて中《うち》に入り、暫《しばら》くして外出せんとしたるに、宿の主婦は訝《いぶか》りつつ、「あんたはんじゃおまへんか先刻《さっき》女の乞食にお金をやりはったのは」という。さなりと妾は首肯《うなず》きたるに、「いんまさき小供を負《お》ぶって、涙を流しながら、ここの女のお客はんが裏の二階からおぜぜを投げてくだはったさかい、ちょっとお礼に出ました、お名前を聞かしてくれといいましたが、乞食にお名まえを聞かす事かいと思いましたさかいに、ただ伝えてやろと申してかえしました、まあとんだ御散財《ごさんざい》でおました」という。慈善は人のためならず、妾は近頃になく心の清々《すかすが》しさを感ぜしものから、譬《たと》えば眼《まなこ》を過ぐる雲煙《うんえん》の、再び思いも浮べざりしに、図《はか》らずも他日《たじつ》この女乞食と、思い儲《もう》けぬ処に邂逅《であ》いて、小説らしき一場《いちじょう》の物語とは成りたるよ。ついでなれば記《しる》し付くべし。

 八 一場《いちじょう》の悲劇

 その年の十二月大事発覚して、長崎の旅舎に捕われ、転じて大阪(中の島)の監獄に幽《ゆう》せらるるや、国事犯者として、普通の罪人よりも優待せられ、未決中は、伝告者《でんこくしゃ》即ち女監の頭領となりて、初犯者および未成年者を収容する監倉《かんそう》を司《つかさど》ることとなりぬ。依《よ》りて初犯者をば改化|遷善《せんぜん》の道に赴《おもむ》かしむるよう誘導の労を執《と》り、また未成年者には読書習字を教えなどして、獄中ながらこれらの者より先生先生と敬《うやま》われつつ、未決中無事に三年を打ち過ぎしほどなれば、その間《あいだ》随分種々の罪人に遇《あ》いしが、その罪人の中にはまたかかる好人物もあるなり、かかる処にてかかる看板《かんばん》を附けおらざりせば、誰《
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