これより先|妾《しょう》は坂崎氏の家にありて、一心勉学の傍《かたわ》ら、何《なに》とかして同志の婦女を養成せんものと志し、不恤緯会社なるものを起して、婦人に独立自営の道を教え、男子の奴隷たらしめずして、自由に婦女の天職を尽さしめ、この感化によりて、男子の暴横卑劣を救済せんと欲したりしかば、富井於菟《とみいおと》女史と謀《はか》りて、地方有志の賛助を得、資金も現に募集の途《みち》つきて、ゆくゆくは一大団結を組織するの望みありき。しかるに事は志と齟齬《そご》して、富井女史は故郷に帰るの不幸に遇《あ》えり。ついでに女史の履歴を述べて見ん。

 六 於菟《おと》女史

 富井於菟女史は播州《ばんしゅう》竜野《たつの》の人、醤油《しょうゆ》屋に生れ、一人《いちにん》の兄と一人《いちにん》の妹とあり。幼《おさなき》より学問を好みしかば、商家には要なしと思いながらも、母なる人の丹精《たんせい》して同所の中学校に入れ、やがて業を卒《お》えて後《のち》、その地の碩儒《せきじゅ》に就きて漢学を修め、また岸田俊子《きしだとしこ》女史の名を聞きて、一度《ひとたび》その家の学婢《がくひ》たりしかど、同女史より漢学の益を受くる能《あた》わざるを知ると共に、女史が中島信行《なかじまのぶゆき》氏と結婚の約成りし際なりしかば、暫時《ざんじ》にしてその家を辞し坂崎氏の門に入りて、絵入《えいり》自由燈《じゆうのともしび》新聞社の校正を担当し、独立の歩調を取られき。我が国の女子にして新聞社員たりしは、実に於菟《おと》女史を以て嚆矢《こうし》とすべし。かくて女史は給料の余りを以て同志の婦女を助け、共に坂崎氏の家に同居して学事に勉《つと》めしめ、自ら訓導の任に当りぬ。妾の坂崎氏を訪うや、女史と相見て旧知の感あり、遂《つい》に姉妹の約をなし生涯相助けんことを誓いつつ、万《よろず》秘密を厭《いと》い善悪ともに互いに相語らうを常とせり。されば妾は朝鮮変乱よりして、東亜の風雲|益《ますます》急なるよしを告げ、この時この際、婦人の身また如何《いか》で空《むな》しく過すべきやといいけるに、女史も我が当局者の優柔不断を慨《なげ》き、心|私《ひそ》かに決する処あり、いざさらば地方に遊説して、国民の元気を興《おこ》さんとて、坂崎氏には一片《いっぺん》の謝状を遺《のこ》して、妾と共に神奈川地方に奔《はし》りぬ。実に明治十八年
前へ 次へ
全86ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福田 英子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング