うように得心《とくしん》し給う。

 七 災厄|頻《しき》りに至る

 それより妾《しょう》は女子実業学校なる者を設立して、幸いに諸方の賛助を得たれば、家族一同これに従事し、母上は習字科を兄上は読書算術科を父上は会計を嫂《あによめ》は刺繍《ししゅう》科|裁縫《さいほう》科を弟は図画科を弟の妻は英学科をそれぞれに分担し親切に教授しけるに、東京市内は勿論|近郷《きんきょう》よりも続々入学者ありて、一時は満員の姿となり、ありし昔の家風を復して、再び純潔なる生活を送りたりしにさても人の世の憂《う》たてさよ、明治二十五年の冬父上|風邪《ふうじゃ》の心地《ここち》にて仮りの床《とこ》に臥《ふ》し給えるに、心臓の病《やまい》さえ併発して医薬の効なく遂《つい》に遠逝《えんせい》せられ、涙ながらに野辺送《のべおく》りを済ましてよりいまだ四十日を出でざるに、叔母上またもその跡《あと》を追われぬ。この叔母上は妾が妊娠の当時より非常の心配をかけたるにその恩義に報ゆるの間《ひま》もなくて早くも世を去り給えるは、今に遺憾|遣《や》る方《かた》もなし。その翌年四月には大切なる兄上さえ世を捨てられ、僅《わず》かの月日の内に三度まで葬儀を営める事とて、本来|貧窮《ひんきゅう》の家計は、ほとほと詮《せん》術《すべ》もなき悲惨の淵《ふち》に沈みたりしを、有志者諸氏の好意によりて、辛《から》くも持ち支え再び開校の準備は成りけれども、杖柱《つえはしら》とも頼みたる父上兄上には別れ、嫂《あによめ》は子供を残して実家に帰れるなどの事情によりて、容易に授業を始むべくもあらず、一家再び倒産の憐《あわ》れを告げければ、妾は身の不幸不運を悔《くや》むより外《ほか》の涙もなく、この上は海外にも赴《おもむ》きてこの志《こころざし》を貫《つらぬ》かんと思い立ち、徐《おもむ》ろに不在中の家族に対する方法を講じつつありし時よ、天いまだ妾を捨て給わざりけん端《はし》なくも後日《こじつ》妾の敬愛せる福田友作《ふくだともさく》と邂逅《かいこう》の機を与え給えり。
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  第十三 良人


 一 同情相憐れむ

 これより先、明治二十三年の春、新井章吾《あらいしょうご》氏の宅にて、一度福田と面会せし事はありしが、当時|妾《しょう》は重井との関係ありし頃にて、福田の事は別に記憶にも存せざりしが、彼は妾の身の上を知り、一度《ひ
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