百金を支出せしめたる後、郷里の父母兄弟に柬《かん》して挙家《きょか》上京の事に決せしめぬ。
二 挙家上京
アア妾《しょう》はただ自分の都合によりて、先祖代々師と仰がれし旧家をば一朝その郷関より立ち退《の》かしめ住《すみ》も慣れざる東の空にさまよわしめたるなり。その罪の恐ろしさは、なかなか贖《あがな》うべき術《すべ》のあるべきに非《あら》ず、今もなお亡き父上や兄上に向かいて、心に謝《わ》びぬ日とてはなし。されどその当時にありては、両親の喜び一方《ひとかた》ならず、東京にて日を暮し得るとは何たる果報《かほう》の身の上ぞや、これも全く英子《ひでこ》が朝鮮事件に与《あずか》りたる余光なりとて、進まぬ兄上を因循《いんじゅん》なりと叱りつつ、一家打ち連れて東京に永住することとなりしは明治二十四年の十月なりき。上京の途中は大阪の知人を尋《たず》ね、西京《さいきょう》見物に日を費《ついや》し、神戸よりは船に打ち乗りて、両親および兄弟両夫婦および東京より迎えに行きたる妾と弟の子の乳母《うば》と都合八人いずれも打ち興じつつ、長き海路《うみじ》も恙《つつが》なく無事横浜に着、直ちに汽車にて上京し、神田《かんだ》錦町《にしきちょう》の寓居《ぐうきょ》に入りけるに、一年余りも先に来り居たる叔母は大いに喜び、一同を労《いた》わり慰めて、絶えて久しき物語に余念とてはなかりけり。
三 変心の理由
家族の東京に集まりてより、重井の挙動全く一変し、非常に不満の体《てい》にて訪《と》い来る事も稀々《まれまれ》なりしが、妾はなおそれとは気付かず、ただただ両親兄弟に対し前約を履行《りこう》せざるを恥ずるが故とのみ思い取りしかば、しばしば彼に告ぐるに両親の悪意なきことを以てしけれども、なお言《ことば》を左右に托して来らず、ようよう疎遠の姿となりて、果《はて》はその消息さえ絶えなんとはしたり。こは大いに理由ある事にて、彼は全く変心せしなり、彼は妾《しょう》の帰国中妾の親友たりし泉富子《いずみとみこ》と情を通じ、妾を疎隔《そかく》せんと謀《はか》りしなり。
四 泉富子(変名)
ここに泉富子([#ここから割り注]目下農学博士某の妻なり[#ここで割り注終わり])の来歴を述べんに、彼女は素《もと》備前の産《うま》れなり。父なる人ある府庁に勤務中|看守盗《かんしゅとう》の罪を犯して入獄せしかば、弁
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