《ほんぷくしゅ》にも似たるかな、昨日の壮士は今日の俳優、妾また何をか言わん。聞く彼は近年細君のお蔭にて大勲位侯爵の幇間《ほうかん》となり、上流紳士と称するある一部の歓心を求むる外《ほか》にまた余念あらずとか。彼もなかなか世渡りの上手なる漢《おとこ》と見えたり。この流の軟腸者|豈《あに》独《ひと》り川上のみならんや。
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  第十一 母となる


 一 妊娠

 これより先、妾のなお郷地に滞在せし時、葉石《はいし》との関係につき他《た》より正式の申し込みあり、葉石よりも直接に旧情を温めたき旨《むね》申し来るなど、心も心ならざるより、東京なる重井《おもい》に柬《かん》してその承諾を受け、父母にも告げて再び上京の途《と》に就《つ》きしは二十二年七月下旬なり。この頃より妾の容体《ようだい》尋常《ただ》ならず、日を経るに従い胸悪く頻《しき》りに嘔吐《おうど》を催しければ、さてはと心に悟《さと》る所あり、出京後重井に打ち明けて、郷里なる両親に謀《はか》らんとせしに彼は許さず、暫《しばら》く秘して人に知らしむる勿《なか》れとの事に、妾は不快の念に堪《た》えざりしかど、かかる不自由の身となりては、今更に詮方《せんかた》もなく、彼の言うがままに従うに如《し》かずと閑静なる処に寓居《ぐうきょ》を構《かま》え、下婢《かひ》と書生の三人暮しにていよいよ世間婦人の常道を歩み始めんとの心構《こころがま》えなりしに、事実はこれに反して、重井は最初妾に誓い、将《は》た両親に誓いしことをも忘れし如く、妾を遇することかの口にするだも忌《いま》わしき外妾同様の姿なるは何事ぞや。如何《いか》なる事情あるかは知らざれども、妾をかかる悲境に沈ましめ、殊《こと》に胎児にまで世の謗《そし》りを受けしむるを慮《おもんばか》らずとは、これをしも親の情というべきかと、会合の都度《つど》切《せつ》に言い聞えけるに、彼もさすがに憂慮の体《てい》にて、今暫く発表を見合《みあわ》しくれよ、今郷里の両親に御身《おんみ》懐胎《かいたい》の事を報ぜんには、両親とても直ちに結婚発表を迫らるべし、発表は容易なれども、自分の位地として、また御身の位地として相当の準備なくては叶《かな》わず、第一病婦の始末だに、なお付きがたき今日の場合、如何《いかん》ともせんようなきを察し給え。目下弁護事務にて頗《すこぶ》る有望の事件を担当しお
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