聊《いささ》か自分の面目を施《ほどこ》したしという。妾は当時の川上が性行《せいこう》を諒知《りょうち》し居たるを以て、まさかに新駒《しんこま》や家橘《かきつ》の輩《はい》に引幕を贈ると同一には視《み》らるることもあるまじとて、その事を諾《うべな》いしに、この事を聞きたる同地の有志家連は、身《み》自由平等を主張なしながら、いまだ階級思想を打破し得ざりしと見え、忽《たちま》ち妾に反対して頗《すこぶ》る穏やかならぬ形勢ありければ、余儀なくその意を川上に洩《も》らして署名を謝絶しけるに、彼は激昂《げっこう》して穏やかならぬ書翰《しょかん》を残し、即日岡山を立ち去りぬ。しかるにその翌二十三年かあるいは四年の頃と覚ゆ、妾も東上して本郷《ほんごう》切《き》り通《どお》しを通行の際、ふと川上一座と襟《えり》に染《そ》めぬきたる印半天《しるしばんてん》を着せる者に逢い、思わずその人を熟視せしに、これぞ外《ほか》ならぬ川上にして、彼も大いに驚きたるものの如く、一別《いちべつ》以来の挨拶振《あいさつぶ》りも、前年の悪感情を抱きたる様子なく、今度|浅草鳥越《あさくさとりごえ》において興業することに決し、御覧の如く一座の者と共に広告に奔走《ほんそう》せるなり、前年と違いよほど苦辛《くしん》を重ねたれば少しは技術も進歩せりと思う、江藤新平《えとうしんぺい》を演ずるはずなれば、是非御家族を伴《ともな》い御来観ありたしという。数日《すじつ》を経て果して案内状を送り来りければ、両親および学生友人を誘《いざな》いて見物せしに、なるほど一座の進歩驚くばかりなり、前年半ばは有志半ばは俳優なりし彼は終《つい》に爾《しか》く純然たる新俳優となりすませるなりき。彼はいえり、昔は拝顔さえ叶《かな》わざりし宮様方の、勿体《もったい》なくも御観劇ありし際|特《こと》に優旨《ゆうし》を以て御膝下《おんひざもと》近くまで御招《おんまね》きに預かり、御言葉《おんことば》を賜《たま》わるさえ勿体なきに、なお親しく握手せさせ給えりと、語り来りて彼は随喜《ずいき》の涙《なんだ》に咽《むせ》び、これも俳優となりたるお蔭《かげ》なりと誇り顔なり。アア彼もしわれらに親善ならんには彼の成功はなかりしならん、彼の成功は、全く自分の主義を棄《す》て、意気を失いしより得たる賜《たま》ものなりけり。さるにても人の心の頼めがたきは実《げ》に翻覆手
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