故に、さてなん人々今を聖代《せいだい》と称す。
○丈夫《ぢやうふ》四方《しはうの》志《こゝろざし》と唐人《からびと》の言ひけん、こは恐らくは八方の誤りなるべし。
○志を抱いて死す、さもしからずや。一般字典の訓《をし》ふる所によれば、大丈夫《だいぢやうぶ》は男の義なり、女を抱《いだ》いて死せんのみ。何で死んでも広告代は同額也。
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○英雄を罵《のゝし》る、快事たり。美人を罵る、亦快事たり。されども共に、銭なき時の事たり。
○慷《かう》して慨せざる可けんやと、息巻《いきまき》荒き人の声の、蟇口《がまぐち》の中より出づるものならぬは、今に於てわれの確信する所なりと雖も、曾て燕趙悲歌《えんてうひか》の士|多《おほ》してふ語をきける毎に、定めしお金が無かつたらうとおもふを禁《とゞ》め得ざりき。我れの矛盾にあらず、彼れの進歩のみ。
○儲けるを知つて遣ふを知らず、斥《しりぞ》くべし。遣ふを知つて儲けるを知らず、是亦斥くべし。さらば何とかすべき。儲けて而《しか》して遣へとは、儲けぬ人の言なり。遣つて而して儲けよとは、遣はぬ
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