》を混同したものだらう。かゝる誤りは萬朝報《よろづてうはう》に最も少《すくな》かつたのだが、先頃《さきごろ》も外《ほか》ならぬ言論欄に辻待《つぢまち》の車夫《しやふ》一切《いつせつ》を朧朧《もうろう》と称《せう》するなど、大分《だいぶ》耳目《じもく》に遠いのが現《あら》はれて来た。これでは国語調査会《こくごてうさくわい》が小説家や新聞記者を度外視《どぐわしし》するのも無理はないと思ふ。萬朝報《よろづてうはう》に限らず当分《たうぶん》此類《このるゐ》のが眼《め》に触れたら退屈《たいくつ》よけに拾《ひろ》ひ上げて御覧《ごらん》に供《きよう》さう。(十五日)
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日向恋《ひなたこひ》しく河岸《かし》へ出ますと丁度《ちやうど》其処《そこ》へ鰻捕《うなぎと》る舟が来て居《い》ました。誰《たれ》もよくいふ口ですが気の長い訳《わけ》さね 或一人《あるひとり》が嘲笑《あざわら》ひますと又《また》、或一人《あるひとり》がさうでねえ、あれで一日《いちにち》何両《なんりやう》といふものになる事がある俺《わつち》が家《うち》の傍《そば》の鰻捺《うなぎか》ぎは妾《めかけ》を置いて居《ゐ》ますぜと、ジロリと此方《こなた》の頭の先から足の先|迄《まで》見下《みおろ》しましたこのやうな問答《もんだう》は行水《ゆくみづ》の流れ絶《た》えず昔《むかし》から此河岸《このかし》に繰《く》り返《かへ》されるのですがたゞ其時《そのとき》私《わたくし》の面白いと思ひましたのは、見下《みおろ》した人も見下《みおろ》された人も、殆《ほとん》ど同じ態度に近寄りまして更《あらた》めて感《かん》に入《い》つた一呼吸《いつこきう》の裡《うち》にどちらもが妾《めかけ》のありさうにも有得《ありえ》さうにもないのゝ明《あきら》かな事でした即《すなは》ち妾《めかけ》を置きますのを、こよなき驕奢《けうしや》こよなき快楽としますやうな色が、其《その》どちらもの顔一|杯《ぱい》に西日《にしび》と共に照《てり》渡つた事でした。(十六日)
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二の酉也《とりなり》、上天気也《じやうてんきなり》、大当《おほあた》り也《なり》と人の語り行《ゆ》くが聞《きこ》え申候《まうしそろ》。看上《みあ》ぐるばかりの大熊手《おほくまで》を担《かつ》ぎて、例《れい》の革羽織《かはばおり》の両国橋《りやうごくばし》の中央に差懸《さしかゝ》
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