》なく暴露《ばうろ》せられたる事に候《そろ》。其建物《そのたてもの》をいへば松田《まつだ》は寿仙《じゆせん》の跡也《あとなり》常磐《ときは》は萬梅《まんばい》の跡也《あとなり》今この両家《りやうけ》は御《ご》一|人《にん》前《まへ》四十五銭と呼び、五十銭と呼びて、ペンキ塗《ぬり》競争《きやうそう》硝子張《がらすはり》競争《きやうそう》軒《のき》ランプ競争《きやうそう》に火花《ひばな》を散《ち》らし居《を》り候由《そろよし》に候《そろ》。見識《けんしき》と迂闊《うくわつ》は同根也《どうこんなり》、源平《げんぺい》の桃也《もゝなり》馬鹿《ばか》のする事なり。文明《ぶんめい》は銭《ぜに》のかゝらぬもの、腹のふくるゝものを求めて止《や》まざる事と相見《あひみ》え申候《まうしそろ》。(十四日)
      ○
平民新聞《へいみんしんぶん》の創刊《そうかん》に賀《が》すべきは其門前《そのもんぜん》よりも其紙上《そのしゞやう》に酸漿提灯《ほうづきてうちん》なき事なり各国々旗《かくこく/\き》なき事なり市中音楽隊《しちうおんがくたい》なき事なり、即《すなは》ち一《いつ》の請負《》文字《うけおひもんじ》、損料文字《そんれうもんじ》をとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広目屋臭《ひろめやくさ》い、追《おい》て悪言《あくげん》を呈《てい》するこれは前駆《ぜんく》さ、齷齪《あくせく》するばかりが平民《へいみん》の能でもないから、今一段の風流《ふうりう》気《き》を加味《かみ》したまへ但《たゞ》し風流《ふうりう》とは墨斗《やたて》、短冊《たんざく》瓢箪《へうたん》の謂《いひ》にあらず(十五日)


何《どれ》も是《こ》れも俊秀《しゆんしう》なら、俊秀《しゆんしう》は一山《ひとやま》百|文《もん》だとも言得《いひえ》られる。さて其《その》俊秀《しゆんしう》なる当代《たうだい》の小説家《せうせつか》が普通|日用《にちよう》の語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕《ぼく》の笑止《せうし》とするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬朝報《よろづてうはう》に悪銭《あくせん》に詰まるとあるのは、悪の性質を収得《しうとく》と見ず、消費と見たので記者は悪銭《あくせん》身に附《つ》かずといふのと、悪所《あくしよ》の金には詰まるが習ひといふのと、此《この》二|箇《こ》の俗諺《ぞくげん
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