小生《せうせい》は兄《あに》さんに候《そろ》如斯《かくのごと》きもの幾年《いくねん》厭《あ》きしともなく綾瀬《あやせ》に遠《とほざ》かり候《そろ》後《のち》は浅草公園《あさくさこうえん》の共同《きようどう》腰掛《こしかけ》に凭《もた》れて眼《め》の前を行交《ゆきか》ふ男女《なんによ》の年配《ねんぱい》、風体《ふうてい》によりて夫々《それ/″\》の身の上を推測《おしはか》るに、例《れい》の織《お》るが如《ごと》くなれば心《こゝろ》甚《はなは》だ忙《いそが》はしけれど南無《なむ》や大慈《たいじ》大悲《たいひ》のこれ程《ほど》なる消遣《なぐさみ》のありとは覚《おぼ》えず無縁《むえん》も有縁《うえん》の物語を作り得《え》て独《ひと》り窃《ひそか》にほゝゑまれたる事に候《そろ》。御覧《ごらん》よ、まだあの小父《おぢ》さんが居《ゐ》るよと小守娘《こもりむすめ》の指を差し候《そろ》によれば其《その》時の小生《せうせい》は小父《おぢ》さんに候《そろ》。猶《なほ》こゝに附記《ふき》すべき要件《えうけん》有之《これあり》兄《あに》さんの帰りは必ずよその家《いへ》に飲めもせぬ一抔の熱燗《あつかん》を呼び候《そろ》へども。小父《おぢ》さんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰《く》はねばならぬ我宿《わがやど》の三|膳《ぜん》の冷飯《ひやめし》に急ぎ申候《まうしそろ》。今《いま》や則《すなは》ち如何《いかん》前便《ぜんびん》申上《まうしあ》げ候《そろ》通り、椽端《えんばた》の日向《ひなた》ぼつこに候《そろ》。
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白氏《はくし》が晴天《せいてん》の雨の洒落《しやれ》ほどにはなく候《そろ》へども昨日《さくじつ》差上《さしあ》げ候《そろ》端書《はがき》十五|枚《まい》もより風の枯木《こぼく》の吹けば飛びさうなるもののみ、何等《なんら》風情《ふぜい》をなすべくも候《そろ》はず、取捨《とりすて》は御随意《ごずいい》に候《そろ》骨《ほね》の折《を》れる事には随分《ずいぶん》骨を折り候《そろ》男と我《われ》ながらあとにて感服仕候《かんぷくつかまつりそろ》。日影《ひかげ》弱《よは》き初冬《はつふゆ》には稀《まれ》なる暖《あたゝか》さに候《そろ》まゝ寒斉《かんさい》と申すにさへもお耻《はづ》かしき椽端《えんばた》に出《い》でゝ今日《こんにち》は背を曝《さら》し居《を》り候《そろ》、所謂《いはゆる》日向
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