《ひなた》ぼつこに候《そろ》日向《ひなた》ぼつこは今の小生《せうせい》が唯一《ゆいいつ》の楽しみに候《そろ》、人知《ひとし》らぬ楽しみに候《そろ》、病《や》むまじき事|也《なり》衰《おとろ》ふまじき事|也《なり》病《や》み衰《おとろ》へたる小生等《せうせいら》が骨は、人知《ひとし》らぬ苦《く》を以《もつ》て、人知《ひとし》らぬ楽《たのし》みと致候迄《いたしそろまで》に次第《しだい》に円《まる》く曲り行《ゆ》くものに候《そろ》。御憫笑可被下度候《ごびんせふくだされたくそろ》
      ○
読むのもいや書くのもいや、仕方《しかた》がないと申す時あるを小生《せうせい》は感じ申候《まうしそろ》。なまけ者の証拠《しようこ》と存候《ぞんじそろ》この仕方《しかた》がない時|江川《えがは》の玉乗りを見るに定《さだ》めたる事|有之候《これありそろ》、飛離《とびはな》れて面白いでもなく候《そろ》へどもほかの事の仕方《しかた》がないにくらべ候《そろ》へばいくらか面白かりしものと存候《ぞんじそろ》たゞ其頃《そのころ》小生《せうせい》の一|奇《き》と致候《いたしそろ》は萬場《ばんじやう》の観客《かんかく》の面白げなるべきに拘《かゝわ》らず、面白《おもしろ》げなる顔色《がんしよく》の千番《せんばん》に一番|捜《さが》すにも兼合《かねあひ》と申《もう》すやらの始末《しまつ》なりしに候《そろ》度々《たび/″\》の実験《じつけん》なれば理窟《りくつ》は申《まう》さず、今も然《しか》なるべくと存候《ぞんじそろ》愈々《いよ/\》益々《ます/\》然《しか》なるべくと存候《ぞんじそろ》。認《したゝ》め了《をは》りて此《この》一通の段落を見るに「と存候《ぞんじそろ》」の行列也《ぎやうれつなり》、更《さら》に一つを加へて悪文《あくぶん》と存候《ぞんじそろ》
      ○
容易《ようい》に胸隔《きようかく》を開《ひら》かぬ日本人《にほんじん》は容易《ようい》に胸隔《きようかく》を閉《と》つる日本人《にほんじん》に候《そろ》、失望《しつぼう》の相《さう》ならざるなしと、甞《かつ》て内村《うちむら》先生申され候《そろ》。然《しか》り小生《せうせい》も日本人《にほんじん》に候《そろ》拒《こば》まざるが故《ゆゑ》に此言《このげん》を為《な》し候《そろ》
[#地から1字上げ](以上十一月廿一日)



底本:「明治の文
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