むべきものであると私は考へる。

             四

 尚學習について問題となつて居るのは、動物は盲目的な試行によりて學習するといふ主張と、動物すらも洞察を用ひて學習するといふ見解との對立である。而してこの考へは人間の學習にまで推し及ぼされて、一方に人間も行ふことによりて學ぶといひ、他方に洞察によりて學習すると言はれる。今動物實驗についての論議を省き、人間の學習に於て、果して試行錯誤のみで行はれるか、それとも洞察によりて學習が完成されるかの問題を吟味して見よう。
 私の考へによると、この對立は試行とか洞察とかの意味にあまり捉はれ過ぎた結果であると思ふ。殊に成人の學習實驗を試みるとその感を深くする。ある研究者は之を以て程度の差と考へて居る。例へば困難な問題に遭遇すると洞察が利かなくなり、試行錯誤的の行動をとる。所が目的や方法の洞察が行はれる所では試行錯誤的行動は表はれないと。これは極めて明白なやうであるが、しかし安價な妥協ではあるまいか。かやうな妥協をなす位なら、試行一點張り又は洞察一點張りでも説明が出來る。即ち容易な問題では錯誤が少なく數回の試行で目的に達し、困難な問題では
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