の極致に於て、同一のものであるに相違ないが、それに達する途上に於ては兩者が必ずしも一致するとは言へない。その所に兩者の主張の對立がある。ソーンダイクは生物學的見地よりして、生物の滿足といふ點に着眼し、滿足なる結果に至つて安定すと考へて居るやうである。之に反して形態論者は現象學的に見て、構造の安定に留意し、安定せる結果に至つて滿足を感ずと考へて居るやうである。故に兩者の主張は全く立場を異にする所からくるもので、詳言すれば生物學的立場からはどうしても滿足の感が必要であるし、現象學的立場からは形態構造が必要になつてくる。從つて同一立場に於ける爭論と異つて、その主張の眞否を論ずるよりは、寧ろその立場の如何を論ずべきである。而して心理學の研究からいへば、一面に精神現象をあるがまゝに記述すると共に、他面には欲求とか滿足とかを考慮して、その現象變化の状勢を説明する必要がある。換言すれば人間活動は物的に支配されると共に生物的に規定されるから、吾人はその雙方の立場より研究の歩を進むべきである。雙方の立場の近い所を取りて歩みよりを企て、無理に妥協せしむるよりも、全く異つた立場を固執して、人間活動の究明に進
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