持來たすもの以上のことを要求せず、また或る痕跡を殘すといふよりも、附屬又は結合を生ずること以外にないものである。
 ソーンダイクはまた次のやうなことを他の所で言つて居る。
 學習には反復を要するが、その反復といふことは單なる時間的連續を意味しない。單なる時間的連續では學習は成立しない。そこには「附屬すること」が必要である。即ち系列の反復的出來事が、系列の第一の項と第二の項との間の結合を強めるためには、常に又は殆んど常に「附屬すること」を必要とする。しかしこの附屬することは、その言葉が意味する以上のものでない。そこに論理的とか、主要的とか、生來的とかに結合するを要しない。何れのこれが、それと共に行くことで十分である。ジョン君と一四九二番とが電話番號のために結びつくことは、コロンバスと一四九二年とが結びつくのと同一であると。
 如上の言から見ると、ソーンダイクは、滿足なる結果を招來しない場合には眞の學習が成立しないことを信じて居るやうである。之に反して形態論者は[#「形態論者は」は底本では「形熊論者は」]、學習の成立には構造の安定、平衡、成全を必要とする。成全や安定の構造と滿足の結果とはそ
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