運であつた。老後彼は身延の山中で日本軍の必敗を期待して居た。されば鎌倉の某信女から、壱岐対馬に於ける元軍の乱行を報告して来た時、日蓮は返書を与へて、それは壱岐対馬の遠島の事では無く、近い中に京鎌倉も同様の惨禍の巷になる、今の中に罪悪の鎌倉を引き上げて、この日蓮の身延の聖地へ逃げて来いと言うて居る。某信女から元軍全敗の報告が来た時、日蓮はそれを虚偽だと言つて居る。それはこの日蓮を讒誣中傷する奸悪な流言に相違ないから信用してはならぬ、とさへ返事を書いて居る。然れば元寇の全滅が確実とわかつた時の日蓮の心情如何。――多年の焦慮、心身の破壊、遂に山を下りて東海道を湯治の途に就いた。武蔵国の海岸をトボ/\たどる時、最早や馬上に堪へ得ずして、土地の郷士池上某の館に寝込んで了つた。その遺跡が今の本門寺だ。僕は日蓮が六十一歳、大に大懺悔の時機に到着して居たと思ふ。惜い哉、彼は大脱皮を果たさずして死んで了つた。僕が日蓮を思うて居る時、いつの間にか田中翁の顔に変つて了ふ。日蓮が最後の疲労を空想する時、直訴当時の田中翁の姿が自然に浮ぶ。――今翁を見送つて家路をたどりつつ、僕はまたおのづからこの二人のことを一つ
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