れねばならぬ。翁は既に一足橋を越え、向き直つて挨拶しようとして居る。その瞬間、僕は三たび言うた。
『岡田氏へ、一度行らつしやい。あなたには直ぐ御合点の行くことです』
翁は簑を担いだまゝ、目を閉ぢてヂツと黙つて居たが、厳然と面を上げて、
『参ります。必ず参ります。では、今晩は日暮里に御厄介になることに致します』
僕は、翁の姿が、生垣の角をまがるまで見送つて、引き返した。
その頃、僕は頻りに日蓮の事を空想して居た。日蓮々々と世間では非常な評判だが、僕は何も知らなかつた。この夏始めて日蓮の『遺文録』と云ふものを読んで見た。僕がこの直接資料に依つて見た日蓮と云ふ男は世間でワイ/\騒ぐ日蓮とは全く面貌が違ふ。評判の『立正安国論』と云ふものは、法然坊の弾劾に過ぎない。嘗て朝廷に対して念仏宗の禁止を迫つた叡山の僧権の暴意を、そのまゝ鎌倉の新政府の門へ投げたのが、『立正安国論』だ。文中に内難外難云々の経文を抜いて※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入して置いたものを、後日元寇の兆が見えて来た時、てつきり予言が的中したものと、自瞞自欺に脱線したのが、日蓮一生の不
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